慶州回想の記 2019年 1987年

4 慶州(2) 

 

 

 慶州の朝、近くのコンビニエンスストアに朝食を買いに行く。宿の兄さんはセブンイレブンを教えてくれたが、もっと近くに韓国系のe-martがあった。こちらの方がペットボトル飲料なども少し安い。お粥のパックを買って帰って、電子レンジに入れる。

 さっき外出した時の様子では、早朝の空気は清々しいとはいえ、周囲の山はもやっている。展望もきかなさそうなので南山に登るのはやめにして、市内を見て回ることにする。

 

 宿を出て、駅に近い城東市場へ行く。この市場は鉄道駅の向かいにあって、昨晩行った中央市場よりもずっと繁盛している。

 駅前の大通りを横断する。大きな交差点には車の常時右折路がついているから用心が必要だ。そのかわり、横断歩道を渡っているのに右折車に巻き込まれる心配はない。このクラスの横断歩道にはセンサーがついているらしく、歩行者用信号が赤なのに車道にはみ出ると警告が自動的に発せられるのだ。横断歩道の際にはアームで支えられたパラソルが備えられているから、日陰で信号が変わるのをじっと待つのが良い。

 

 

 

 そうして交差点を渡ると、まず、大通りの歩道上からして、露店がびっしりと並んでいる。マクワウリやアンズ、トマトなどを賽の河原よろしくタワー状に積み上げて売っているのである。

 

 

 

 それどころかバス停に至るまで、おばちゃんたちが地べたに座り込んで店を出しているのだ。市場内に入れない人は周囲の路上に店を出し、それすらできない人が、所あらばと商売の場にしているのだろう。

 

 

 

 

 

 アーケードになった市場の通りに入る。四周には食品の店が並び、中心部は衣料品、布団、雑貨、乾物の店が固まっている。食品といっても取り澄ました店ではない。店頭に置かれた巨大な寸胴なべで何やら煮込んでいたり、漢方薬の材料になりそうな根っこや木の幹まで売っていたりする。揚げたてのてんぷらなんかもおいしそうだ。

 

 

 

 箱にぎっしり詰めた色とりどりのお菓子もある。鯛や海老、タコが載ったものまであって、味も匂いも想像できない。慶事用には違いないだろうが、いずれもくすんだ色合いであまり華やかさはない。この見栄えの悪さが韓国料理の欠点だと常々思っている。

 市場の一番奥には食堂街があった。今ふうに言えばフードコートである。既に準備ができているので、明日の朝はここに来ようと思う。

 

 

 

 市場の西門から出ると、道の向かいに城門がある。慶州邑城の向日門と石垣で、1012年に土城が築かれ、1378年に石垣に改築したものが900メートルだけ残っていたのだという。その石垣にしても本物の遺構らしさが残っているのは端のわず かな部分だけで、あとは新しく積み直しているように見える。

 門の上に上がると、西側、つまり往時の邑城内に少しだけ古い住宅が残っていた

 表通りに戻るとソラボル信用金庫の支店があった。まだ開店時間前で、女子行員が自動ドアのガラスを雑巾で拭いている。ソラボルとは慶州が新羅の都、金城となるよりももっと昔の名前である。地図を見るとソラボル文化センター、ソラボル大路などというのもある。この名前、35年前には全く聞かなかったように思う。 

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちに9時が近づいたので、宿の近く、皇吾洞古墳群の中にあるチョッセム遺跡展示館へと向かう。ところが9時開館だと思っていたのに、実際は9時30分の開館であって、ちょうど係の若い女性がシャッターを開けたところだった。出直そうと玄関前の階段を降りかけると、彼女が入ってもいいと言う。韓国の観光施設に勤める人は愛想が良くて親切だなと思う。しかも無料の施設なのに立派なパンフレットまで備えている。もっとも肝心の遺跡の方は、古墳を発掘した状態で見せているので、素人目には何だかよく分からない。

 

 

 展示館を出て隣り合う大陵苑に北門から入場する。周囲の古墳群も家が撤去されて広々とした空間になっているから、わざわざお金を払って見るまでもないような気もするけれども、35年ぶりに来たのであるから入る。そういえば以前は古墳公園と言っていたようにも思う。いずれにしろ、きれいに整備された第1級の古墳ばかりである。園路は決められているし、墳丘自体も整い過ぎていて、あまり面白みがない。

 

 

 苑内北端に位置する天馬塚には副葬品が埋葬当時の状態に復元展示されている。被葬者の頭上に長持があって釜や甑の類がたくさん詰め込まれていたそうだ。沖縄産の夜光貝で作ったひしゃくも入っている。

 南門に向かって松林の中を歩いてゆくと、リスが幹を駆け登って行った。 

 

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