オリエント∞(無限大)周遊記 1987年

8 ディヤルバクル

 

 トルコ南東部の都市、ディヤルバクルに到着した。

 現在のディヤルバクルに住んでいるのは主にクルド人である。かつて住んでいたアルメニア人たちは、虐殺や追放の果てにいなくなってしまった。クルディスタンの独立運動もあり、列車内でも「ディヤルバクルに行く」と言うと、「トルコ人」たちからは「あそこは良くない」という反応が返ってくることが多かった。

 

 まずは観光案内所へ行く。シリアのホムス以来、おなかの調子が悪いので、病院を紹介してもらおうと思ったのだ。

 美人の所長はこちらの言うことを要領よく理解してくれて、部下の男が一緒に行ってくれることになった。ところが、この男の方は役立たずで、レストランへ寄って自分の用事を済まし、たまたま出会った歯科医と延々と話し、ドクターの車をつかまえたと思ったら「これから食事をするから、その後で診る」と言う。そんなに待てないので、案内所で貰った地図にある軍の病院へ勝手にタクシーを拾って行く。

 軍病院では、これまでの旅行経路を聞かれただけで「ノー・プロブレム」と処方箋を書いてくれた。それを持って、手近な薬局で薬を手に入れる。

 

 

 それでは、旧市街へ足を踏み入れることにしよう。城壁の東側、駅正面の道に続いているところにあるのがウルファ門で、威圧するかのような黒っぽい胸壁が突き出している。近くには野菜市場があり、馬車などもたくさん通るので一見、のどかな雰囲気ではある。しかし、上空をプロペラの軍用機が低空飛行しているし、大通りも高射砲やカーキ色のトラックに埋め尽くされ、物々しい雰囲気だ。

 

 

 ディヤルバクルの旧市街は、右上を向いたカレイのような形をした城壁に囲まれている。頭にあたる部分が内城で、安いホテルはその近辺に固まっている。北門に当たるハルブット門を入ったところのアジュムというホテルに投宿する。

 部屋の窓から眺めると、レンガ壁のビルや民家がごちゃごちゃと建ち並んでいて、あまり風情は感じられない。

 

 

 

 部屋に荷物を置き、街歩きに出る。まず、近くの内城へ。尖頭アーチの門が階段の上にあるけれども、内部は軍関係の建物ばかりで、特に見るべきものもない。

 

 

 内城から街の城壁に沿って時計回りに歩いてゆき、途中の門から城壁の城壁の外側に出る。チグリス川に続く斜面に畑や果樹園が作られていて、牛も草を食んでいる。

 

 

 

 子どもたちが「オッケイ、オッケイ」と囃しながら群れて来たので、写真を撮ってやる。

 

 

 城壁を見上げると、手招きする人がいるので斜面につけられた小径を上がってゆく。城壁に開けられた家の戸口に立ったその人は、手に大きなステンレスのボウルを持っていた。ボウルの中には水がなみなみと湛えられている。のどが渇いていたので、ありがたくいただく。

 

 

 

 そのあと、背後の扉から家の中を通って表通りに出してくれた。表通りといっても平屋の家が並ぶ未舗装の道で、やっぱり子どもたちが寄り集まって来る。子どもだけでなく、大人まで混じって集合写真を撮る。送ってあげようと住所を聞いたのだが、通じない。通り名はともかく、家の番号がわからない。家の戸口に「Su」と書いた小さなプレ-トが打ち付けてあるのは水道の番号だろう。仕方がないので、それをメモした。

 

 

 

 

 前方に見えているケチ・ブルジュの上に欧米人の観光団がいるのが見えるので行ってみる。塔の上に上がると、緑に覆われたチグリス川の谷が望める。

 ふと脇を見ると、観光団のおばちゃんの一人がしゃがんでカメラのフィルムを入れ替えていた。スカートが短かく中がまる見えだ。それを地元民らしき男がじっと見つめている。

 

 

 

 ここからは城壁の天端を歩いてゆく。特にお金もとられないかわりに、安全設備もない。城壁の幅は1メートルもないところもあり、デコボコしているのでかなり危なっかしい。モスクの尖塔が逆光に映える旧市街を見ながら、慎重に歩を進める。

 カレイのしっぽに当たるイエニ・カルデシュ・ブルジュまで来た。城壁をほぼ半周したことになる。城壁上の通路はまだ先へと続いているが、この先は随分と起伏が大きい。危なっかしいので地上に降りることにする。

 

 

 

 城壁を離れて、道が十字に交差した旧市街の中心方向へ行く。キャラバンサライの建物がいくつか残っていて、中庭はいまでも商店として使われている。夕方になり、商店に灯るオレンジ色の明かりにホッとする。

 

 

 通りからすこし奥まったところに、グランドモスクとも呼ばれるウル・ジャミィが鎮座している。ダマスカスのウマイヤド・モスクと同様に教会を転用しており、プランも同じなのだと言う。確かに平面配置は似通っているのだが、市壁と同じ黒っぽい石材が使われており、モザイクが華やかだったウマイヤド・モスクとはだいぶ雰囲気が違う。

 

 

 夕飯は羊肉の団子を食べる。飲み物はもちろんアイランである。 

 

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