オリエント∞(無限大)周遊記 1987年

3 北キプロス

 

 

 無事にメルシンに到着したのは良いのだが、港の位置がしかとは分からない。海の方角は分かるのだから、そちらへ歩いて行けば何とかなるだろう。

 しかし、案ずるには及ばなかった。駅を出て角を曲がったらその先がもう港で、北キプロス行きのフェリーが白い船体を横たえていたのだ。

 

 

 円形のターミナルビルに入り、切符を購入する。

 この航路はメルシンと北キプロスのファマグスタとを1隻の船が夜行便で行ったり来たりしているようだ。だから片道では週3便の運航となるわけで、週末にはファマグスタからシリアのラタキアまで足を伸ばし、その日のうちにとんぼ返りしてくる。

 つまり、毎週金曜日メルシン発の便をつかまえれば、トルコからシリアへ船中2泊で渡ることができ、昼間はクルーズ船のようにキプロス島に上陸できるというわけだ。

 

 メルシンで買えるのは当夜の乗船分のみで、16200リラ(2900円)もした。他の物価に比べたら随分と高額だ。切符を改めて見て見ると、運賃は7200リラだけで、税金が9000リラも取られている。

 キプロス島の東北部は北キプロス・トルコ共和国と名乗ってはいるけれども、独立を承認しているのは自分自身のほかには宗主国たるトルコだけしかない。しかも、国旗はトルコ国旗の赤白を反転しただけ、通貨はトルコ・リラである。これでは事実上、トルコの一部のようなもので、その援助が無ければ成り立たない国家なのだろう。そんな事情が、この切符に反映されているのかもしれない。

 

 

 乗船時刻まで、岸壁に沿って作られた瀟洒な公園をぶらぶらして過ごす。ターミナルの反対側にモニュメントがあって、エトゥ-ルル号遭難記念碑と書いてある。遭難した場所は日本だそうだ。

 

 夜になり、ターミナルへ戻る。この建物、外観はともかく、内部は床に段ボールの切れ端や新聞紙が散乱していて薄汚い。乗客の方も、明らかに普通のトルコ人よりも汚れた服装をしており、段ボールの箱などを沢山抱えて待合室にたむろっている。全員が男と言っていいくらい、女性の姿はない。

 改札が始まったのか、人々が動き出す。テラスに出たところにある机で、パスポートにトルコ出国のスタンプを押す。係官が「オー、ジャポーン!」と大げさに驚く。そして、乗船口ではパスポートを回収されてしまう。

 指定のキャビンは、通路のような場所に並んだ独立シートで、蒸し暑くも重油臭い。窓からは、ナトリウムランプに照らされた公園が見えている。人影はない。エトゥ-ルル号遭難記念碑だけは白い電球で飾られていた。

 出港した後、ロビーの案内所へ行くとパスポートを返してくれた、一緒に北キプロスの入国カードも渡してくれる。カフェテリアの食券もここで買う仕組みになっている。

 

 

 目が覚めるともう日は高く上っていた。マリンブルーの海の向こうにかすかに白い陸地が見えている。やがてファマグスタが近づくけれども、街らしいものはない。と思っていたら、岬を回り込んだところで、街を囲む城壁と教会の廃墟が見えてきた。

 もう一度案内所へ行き、入国カードを提出する。下船したところでもパスポートを見せ、倉庫のような建物に入り、こで延々と待たされた。やがて税関検査が始まったけれども、検査をする部屋にはいっぺんに10人ほどしか入れないから、遅々として列は進まない。荷物検査も厳重で、終わるとカバンにチョークで複十字のマークを付ける。

 ファマグスタの入港時刻は8時となっていたのに、市内に出られたときには10時20分になっていた。

 トルコから来ても通貨は変わらないからか、港に両替のできるところはない。カフェテリアで尋ねてみたけれどもやはり不可。シリアから来た人はどうするのだろう?

 

 

 

 港を出ると、目の前に城壁に開いた門があった。城壁に上がると旧市街が一望できる。もっとも、目立つのは倉庫の屋根と廃墟と空き地ばかりで寂れた印象だ。城壁下の道を護送車のようなカーキ色した路線バスが走っていく。トルコ本土とは違って左側通行である。

 

 

 

 城壁から見えていた教会の遺跡へ行く。説明版なども何もなく、地面には大きなトカゲが走り回っている。壁にはわずかながら聖人像の服の青や緑色が残っていた。

 

 

 続いて街の中心、ララ・ムスタファ・パシャ・ジャミイに入る。色あせたステンドグラスが残り、柱には「アッラー」とか「ムハンマド」とか、アラビア文字とローマ字で黒々と書いてあるし、一角にはアラビア語の本がぎっしりと詰まった本棚もある。しかし元々がバジリカ式聖堂だったのを転用しているので、あまりモスクらしくない内観だ。涼しい風が入って来るから、休憩にはちょうどよい。

 

 

 街の南側に海水浴場があるらしいので行ってみる。ララ・ムスタファ・パシャ・ジャミイから歩いて30分ほどかかって到着。ささやかなビーチで、しかも砂浜の大部分はホテルのプライベートビーチに占領されてしまっている。ヤシの葉を埋め込んだ柵を乗り越えようとする人間がいると、ボーイがすっ飛んでくるのだ。

 それでも、このホテルは営業しているだけましだ。ビーチのさらに南側には、壮大なるホテルの廃墟群が鎮座している。こちらは厳重な柵があって立入禁止、写真撮影も禁止とある。近くに軍の駐屯地もあったことだし、隠し撮りもしないでおこう。

 

 

 街に戻って夕飯を物色する。中心部を歩いても全体に景気が悪い感じで、あまりめぼしい店がない。市場で売っているニンジンからして小さくしなびていた。

 1軒の軽食堂に入る。メニューはいろいろあれども、ハンバーガーと豆の煮込みしかできないと言う。食べ終わると、もう閉店だからと豆をもう1杯サービスしてくれた。若い兄さんの店員は親切だけど、何だか覇気がない。

 

 港へ舞い戻ると、発券事務所に人影がない。警備の軍人に尋ねると9時から開くと言うので、城門そばのカフェテリアでジュースを飲みながら待つ。この店の主人はおばちゃんで、ベイルートから渡ってきたそうだ。どんな人生があったのだろうと思う。もとより、お互い話が全て通じるわけはなく、そんなときにはこのおばちゃん、胸の前で十字を切って天を仰ぐのだった。

 

 日が暮れると海風が涼しい。散歩やドライブする人たちで、このあたりは昼間より人通りが多くなっている。

 倉庫の陰に、使われなくなった電話ボックスが残っていた。トルコ語とギリシャ語が併記してある。北キプロスでギリシャ文字を見たのはここだけであった。

 

 9時少し前に発券事務所が開く。「安い方かプルマンか」と聞かれる。もちろん「安い方」にした。

 

<4 ラタキア発アレッポ行2等車 へ続く>

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