オリエント∞(無限大)周遊記 1987年
4 ラタキア発アレッポ行2等車
ファマグスタ港の倉庫のような船客待合室では子どもたちがミネラルウォーターの空びんでサッカーをしていた。朝の順路を反対にたどって埠頭に出る。乗船口では集めたパスポートをかたわらの机に無造作に積み上げていて、なくならないか不安になる。
メルシンからの船とは違い担ぎ屋風の男たちがいないので、船内は空いていた。窓からはビーチに建つホテルのネオンが緑色に光っているのが見えている。
翌朝、シリアのラタキアに入港した。船内で知り合ったオランダ人の青年と一緒に駅まで歩いてゆく。港の出口から正面の道を歩いて2キロメートルほど、途中に列柱が2~3本残った遺跡を見て、坂道を上ってゆく。
ラタキア駅で午後のアレッポ行きの切符を求める。1等車は既に売り切れで2等車しか残っていなかった。高くてもエアコン付きの1等車の方に人気があるようだ。
駅から正面の坂道を下ってゆく。こちらの方が街の中心で、一帯が市場になっている。人通りは多いのになんだか壊れた建物が多いし、未だに荷馬車が行き交っている。海辺の街だから魚屋もあるのだが、商品の魚を路上に直接置いて商っていたりもする。
市場の一角にある店で、レバーの串焼きサンドイッチを食べる。半円形ドームの小さな店で、炭火の炉は屋外に置いてある。これが旨くて、4串も食べてしまう。虫もおいしさがわかるのか、やたらとハエの多い店でもあった。
別な街角には行列のできている店もあって、覗き込むとジュース屋であった。列に並んでリンゴ、レモン、バナナのミックスジュースを飲む。
通りの突き当りは海辺の公園であった。ここまでくれば吹き抜ける海風が涼しい。
しかし、ベンチに座っていると何やかやと話しかけてくる若者が多くて、あまり休まりはしない。さっさか立ち去って、石造りの建物に挟まれた路地などを徘徊する。
トルコのモスクは尖塔がすっくと立っていたけれども、シリアのそれはずんぐりとした灯台のようで野暮ったい。
駅前広場に面した公園で列車を待つ。バラの咲いたきれいな公園である。手押し車でサボテンの実を売っている。その場で皮をナイフで向いてくれるので食べてみると、これも実に美味である。シリアとはこんなに食べ物のおいしいところだったのかと思う。
かなり暑い日なのに、隣のベンチに座った一家のおかあさんはコートを着込んでいる。ロンドン製だと表示したラベルが付いたままである。いくら乾燥していて日射しを遮った方が涼しいといっても、英国製のコートを着ていたら暑すぎるのではないだろうか。
さて、駅に戻ると、もう列車は入線していた。駅舎の先に長いホームがあって、先端に行くほど幅が狭まっているので、遠近感が強調されて見える。
車内に入り適当なところに座っていたら、車掌が来て指定の席に連れて行ってくれた。等級を問わず、どの窓もホコリだらけだ。これなら窓の開く2等の方が、外がよく見えるというものだ。
列車は若干の遅れでラタキアを発車した。はじめは比較的緑の多い土地を、白く濁った渓谷に沿って上ってゆく。前方に鉄橋が見えると2つ目の駅であった。そのあたりからトンネルが多くなる。だんだんと乾燥もしてきて、やがて河谷平野の眺望が広がった。前方に見えている山並みは、全山が灰色である。
2等車は、日本の急行列車のように4人が向かい合わせに座るシートである。この車内でも周囲の乗客たち(男ばかりだ)から、いろいろ話しかけられた。隣のボックスのグループは警官だという。ズボンの尻ポケットに無造作に拳銃を差しているから本当だろう。そのくせ、人の手帳を見て、盗まれないように気を付けろと宣う。
とにかくシリア人は気のいい人ばかりで、甘~い紅茶やジュース、ヒマワリの種などをいただいた。
列車は、平野を横切り、ひまわり畑の広がる谷に入ってゆく。アレッポが近づくと地面は砂漠になり、ポコポコしたドームを連ねた家が見えてくる。この地方に独特の様式だという。
いよいよアレッポの街なかに入った。前方には旧市街の中心にある城砦が見えている。
線路沿いの通りで列車を見送る男たちが「ホーイ」と声を上げ、乗客もそれにこたえている。友人なのだという。
アレッポ駅に着くと男の子がひとりついて来て、駅から10分ほど歩いたところにあるバロンホテルまで案内してくれた。だからといってお金をせびったりすることもない。
通されたホテルの部屋には、素人っぽい大仏の油絵が掛かっていた。











