オリエント∞(無限大)周遊記 1987年

2 東行きタウルス急行

 

 

 イスタンブールの朝、シルケジ駅とガラタ橋の間に位置するエノミニュの桟橋で、朝食にシミット(ごまパン)を食べる。焦げたところが香ばしい。

 

 

 それから、タウルス急行に乗車するために、頻発している船でボスポラス海峡をアジア側へ渡る。この船も切符はジュトンだ。

 船が進行するにつれ、対岸に立派なハイダルパシャ駅が見えてくる。しかし、この船は駅舎の沖合をずんずん先へと言ってしまう。結局着いたのは数百メートルも離れたカディキョイの桟橋だった。カーフェリーなら駅の目の前に着くのだが、人と車の位置が逆ではないかと思う。

 

 

 

 

 それはともかく、堂々としたハイダルパシャ駅はアジアの玄関口にふさわしい威厳をたたえている。食堂や理容室、八角形の案内所なども備わっていて設備も整っているのだ。しかしながら、港の先端に位置していて、人の流れから外れているのだろう。構内は閑散としている。しかも、肝心の列車については案内がお粗末で、何番線から出るのかもよく分からない。アナウンスではしきりに「トーロス・エクスプレシ」と言っている。当然ながら全てトルコ語なので、列車名だけしか分からないから、役には立たない。

 

 今回、タウルス急行での乗車区間は、地中海に面したイェニスという小駅までである。丸々一日乗って運賃は3800リラ(650円)だから驚くべき安さだ。これでも1.5倍近くに値上げされたらしく、券面には2300リラと印字してあるのをボールペンで修正してある。

 朝食にシミットだけでは足りないので、チェリーの入った月餅みたいなパンと、これまたチェリーのジュースを買って列車を待つ。

 発車時刻を過ぎたころ、タウルス急行はのっそりと入線してきた。コンパートメント式の客車を連ねている。お客はほとんどいないからどの席でも選びたい放題だと思い、客室を覗いて回る。緑色したビニールレザー張りのシートにはホコリがうっすらと積もっている。始発駅なのにろくに掃除もしていないらしい。ホコリを新聞紙で払っていると車掌が通りかかった。情けなさそうな目でこちらを見ながら「ネレーデ イネジェキ~」と言う。どこで降りるかと言っているらしいので「メルシン」と答える。「イェニス~」と返ってきたから、乗り換えだと言っているのだろう。

 

 結局、始発の段階から13分の遅れで、わがタウルス急行はガラガラのまま出発した。しばらくは大都市イスタンブールの住宅地が続く。車窓には明るい海が広がり、島へと渡るフェリー乗り場には車や人がひしめいている。通勤電車用の駅はもちろん通過するが、いくつか停車する駅もある。それらの駅からは意外にもたくさんの乗客が乗り込み、40分ほどかけて市街地を脱出したときには、車内はほぼ満席となっていた。自分が座っていた車室にも老夫婦と、子ども3人を連れた夫婦が入った。

 停車駅のホームには子どものシミット売りがいて、車内に入ろうとすると車掌に手荒く突き飛ばされて、ホームに転げ落ちた。シミットもホームに散乱する。

 

 昼食にさっき買ったパンをかじっていると、老夫婦からシミットと春巻のようなものをもらった。サンダルと一緒にずだ袋に入っているのがちと気にはなったが、ありがたくいただく。

 

 

 12時55分、イズミット着。ここからは内陸に入り、風景も乾燥してくる。左手に大きな湖が見えた。

 

 

 14時45分、ヴェジルハンという小駅に停まり、リクライニングシートを備えた客車ばかりの列車と行き違う。ところが、なかなか発車しない。窓から首を出してみると、後方の車両からく煙が上がり、エンジンが焼けたような臭いが流れてくる。結局、この1両は置き去りにされることになったようだ。構内を何度も行ったり来たりして客車をつなぎ替え、1時間遅れで発車する。

 

 

 ヴェジルハンからは石灰岩質の岩山の間を、白く濁った小さな流れに沿って上ってゆく。次の駅を出ると、今度は大きなΩカーブで高度を稼ぐ。谷底には緑が見えるのだが、山はハゲ山だ。村々の民家は赤い屋根を連ね、それらの間からモスクの尖塔がすっくと立っている。

 16時20分頃、いつの間に峠を越えたのか、列車のスピードが速くなった。

 17時25分、エスキシュヒール着。ホームで売っていたナンのようなパンを買う。200リラ(36円)でかなり大きいので半分だけ食べて残りは取っておく。

 また老夫婦からおかずをもらった。瓜のようなものに、辛いご飯を詰めてある。そういえばピラフは元々トルコ料理だというけれど、いったいどこで米がとれるのだろうと思う。

 

 夜も更けて、アンカラに着いた。丘にきらめく街明かりが宝石箱のようだ。天空には北斗七星が掛かっている。満室の8人コンパートメントで、テーブルに突っ伏して寝る。

 夜明け前に目を覚ましたときには、オリオン座が見えていた。

 

 

 6時ごろ目を覚ます。もう夜は明けていて、沙漠の中を走っている。このあたりの標高は1000メートルを超えているはずで、車内は冷え切っている。

 しばらく走って、トルコ中央部の主要都市であるカイセリに着いた。ホームでは「カイセリ~」とアナウンスが流れているし、客車側面のサインボードにもそう書いてあるけれども、ここは本当のカイセリではない。カイセリの中心街から西に10キロメートルほど離れた郊外のボアズキョピュリュとかいう駅なのだ。あっけらかんとした駅で接続列車などないし、駅前にもバスなどの姿はない。そのせいか降車客も乗車客もなく、タウルス急行はすごすごと後退を始めた。この駅の西側で線路は三角線となっているので、スイッチバックしてもいいのだろうが、そのためには機関車を付け替えなければならない。蒸気機関車の時代なら向きも反転させる必要があったわけで、それなりに合理的な方法なのだろう。

 

 

 その後は午前中いっぱい、岩山やら岩沙漠やらの多い地帯を走って行った。トンネルをいくつも抜け、ハチキリという採石場の中にあるような駅に着く。西側の山脈がⅤ字型に切れ込んで、大平原が覗いている。そしてここからは、狩勝峠にも似て、それを上回るような大眺望が展開したのだった。

 

 

 

 やがて海岸平野に降り切ったタウルス急行は、昨日からの遅れをそのままに持ち越して、イェニスに着いた。イェニス自体は小さな町であるが、港のあるメルシンへの支線が分岐している。駅舎とは別にバーと売店が入った建物があり、屋外の洗面所も広く作られている。牽引機がディーゼル機関車になったとはいえ、乾燥地帯を走り抜けてきた乗客は、全身ホコリまみれだから、頭や顔を洗う人が多いのだ。

 喉が渇いたので、売店でメロンを買う。1キログラム(2個)で200リラ(36円)である。身は黄色く、メロンと言うよりマクワウリと言った方がいいかもしれない。ナイフを借りてその場で全部食べてしまった。

 

 イェニスで乗り換えた列車は人家の多い平野をゴロゴロと走り、タルススに停車した。この街の名は歴史の授業で習ったような気がする。次の停車駅は、もう終点のメルシンである。

 

 

<3 北キプロス へ続く>

<うさ鉄ブログ トップページ へ戻る>