建築と空間 イタリアの巻 1994年

26 チステルニーノ

 

 今度はチステルニーノへ行ってみようと思う。こちらも丘の上に白い家が並ぶ町である。

 

 

 アルベロベッロ駅で朝の列車を待つ。やってきたのはオレンジ色のディーゼルカーである。例によって1両きりの車内を1等と2等とに分けている。1等は16人分しか座席がない。マルティナ・フランカで乗り換えて、次のチステルニーノ・チッタ駅で降りる。

 

 

 

  わざわざチッタ駅と断るのは、海岸沿いの幹線にもチステルニーノを名乗る駅があるからだ。そちらは市街から直線距離にして10キロメートル、低いとはいえ峠を越えた先でほとんど人家もないようなところらしい。

 

 

 

 

 チステルニーノの旧市街は、1辺が約200メートルの台形の平面形をしている。旧市街を縁取る建物は市壁状になっていて、いくつかの埋門が設けられている。一見したところ個人宅の入り口のようだが、壁に街路名が表示されているので、公道であることがわかる。折れ曲がった建物下の通路を抜け、路地に出る。街路はロコロトンドよりも複雑に折れ曲がる一方、路上のアーチは少ない。

 

 

 

 

 

 むやみに細い路地、不整形の石が敷かれた路面、絡み合う階段を上がって入る玄関。「建築家なしの建築」の面目躍如と言える。

 小さな広場にはトラックの八百屋が出ている。

 

 

 

 

 

 

 

 旧市街の中には飲食店も多くあり、人の姿も多い。陽だまりに座り込んで家をスケッチする。通りかかった人が「建築家か、画家か?」と尋ねる。描き終わって、玉すだれが下がった玄関の中にお礼のあいさつをしたら中に招じ入れられた。何の表示もないけれどそこはバールであった。壁には油絵が掛かっていて、それは片隅に座っているお客の爺さんが描いたものだという。白ワインをごちそうしてくれる。代金は何としても受け取らず、反対側のドアから外に出れば、また別な路地が続いているのだった。

 

 

 

 昔、ミラノ駅前のレストランで相席になったビジネスマン氏から「イタリアなら南部へ行け。本当のイタリアがある。」と言われたことがある。それから10年経って、はじめて南イタリアへ来ることができた。あの時のビジネスマン氏は、どうしているだろうか。故郷に帰ったのだろうか。

 

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