建築と空間 イタリアの巻 1994年

23 ヴェネツィア(5) - ブラーノ島

 

 ホテルの朝ごはんは8時からと割合に遅い。廊下に出ると、パンのいい匂いが漂っている。あんずジャム入りクロワッサンが極上美味である。

 今朝は道を北に取り、フォンダメンタ・ヌオーヴェを目指す。ヴェネツィア本島の中でもこのあたりは比較的道が素直に伸びている気がする。

 

 

 途中で、スクオラ・ディ・サン・マルコという、旧同信会館に立ち寄る。サン・ザッカリアと並ぶ、地元建築家コドゥッシのデザインで、サンマルコ寺院にも通じる楽し気な外観である。

 


 

 フォンダメンタ・ヌオーヴェには花屋さんと石屋さんが多い。お墓だけの島サン・ミケーレへの船も出ているからだろう。この河岸は本島北岸のターミナルで、岸壁にはいくつもの浮桟橋が並んでいる。

 

 今回乗船するのはブラーノ島行きの航路である。この航路はいわば郊外線にあたるが、運賃は片道3500リラ(210円)で変わらない。しかも往復すると1割引きだからお得感がある。

 さて、乗船してみると他のヴァポレットとは違い、フェリーボート型の船体であった。桟橋を離れ、サン・ミケーレ島を右に見ながら航行する。

ガラス工芸で有名なムラーノ島はレンガ色2階建ての家が並んでいる。桟橋の名はファーロといって、その名のとおり白い灯台がそびえている。

 

 

 ムラーノ島を離れると「外洋」で、海中に杭と街灯で示された航路を忠実に辿っていく。次に停泊したのは、二つの島に挟まれた水路のマッツォルボというところである。人家はわずかしかなく、しかもブラーノ島と橋でつながっているので、何のために停まるのかわからないようなところではある。

 マッツォルボを出て島の角を右に曲がると、もうブラーノ島の船着き場で、赤い屋根の家が賑やかに並んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この島は、カラフルに彩られた民家が立ち並ぶことで人気が高い。しかし、冬のこの時期に訪れる人はなく、通りを闊歩するのは地元の中学生たちばかりだ。

運河に架かるのは階段のついた木橋で、屋根の向こうには教会の鐘楼が見えている。この鐘楼の傾きはかなりのもので、元が砂州のような島だから地盤が悪いのであろう。

 ところで、民家の塗装の理由であるが、漁師が遠くからでも自分の家を識別できるように塗ったのだと言われている。しかし、カラフルな家は運河沿いに建っていて海からは見えないのである。

 

 帰りの船は一般的なディーゼル船であった。時刻表よりずいぶん早く出港したのでヘンだと思ったら、隣のトルチェッロ島を往復した。マッツォルボとムラーノの間では濃い霧の中、オレンジ色の街灯を頼りに進んでいく。

 

 夕飯は鉄道駅に近い場所にあるトラットリアで食べた。

 リアルト橋から駅を結ぶ、この街にしては幅広の通りがあって、メニュー・ツーリスティコ15500リラなどという看板が出ている。リアルト橋からサンマルコ広場あたりに比べれば2割がた安い。

 まだ時間が早いので、店に入っているのは東洋人が多い。相席になったお姉さんも台湾からの観光客だった。

 小粒なムール貝が入ったスープに魚の切り身や練り物のイカ墨煮込みのパスタ、ワインもつけて2万リラ(1200円)だから大満足だ。

 

 帰り道の途中でギャラリーに入ってみる。ダミアン・ジャコフというシュール・レアリスム画家の展覧会をしていた。この国にはジョルジョ・デ・キリコという人もいたなと思う。

 

 

 日の落ちたバルトロメオ広場に戻る。地元の若者たちがそこかしこで談笑している。なにしろイタリア人なのだから、早口で大声でいっぺんにしゃべりたてる。いやはや、大変な騒ぎである。それも19時半を回り商店が店を閉め出すと徐々に減っていく。

 その後もショーウインドウに並べられたカーニバルのマスクなぞを覗き込んでいるのは観光客ばかりである。

 

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