建築と空間 イタリアの巻 1994年
14 フィレンツェ(5)
アルノ川にかかるベッキオ橋は、橋の上に商店が並んでいることで有名だ。その姿はウフィツィ美術館の窓からも見ることができる。橋に向かってはヴァザーリの回廊が伸びているけれども、これは残念ながら公開されていない。橋自体も改めて見ると決して美しいものではない。両側にとりついた建物には統一感がなく、そこだけ見たら香港かベトナムあたりと言われてもわからない。
大体において、このアルノ川の岸辺は風情に欠ける。水面に背を向けた建物に統一感はないし、ウフィツィ美術館のあたりでも堤防が街と水面とを隔ててしまっているのだ。アルノ川はよく洪水をおこすというから、そのせいなのだろうか。
手ごろな値段のトラットリアに入って夕食にする。時間帯が早いせいか、どの店も日本人だらけである。それでも、さすがにイタリアであって、豚背肉のローストもワインもおいしい。
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朝ごはんは駅近くの気軽な店に入り、コルネッタやクロワッサンとカプチーノとする。先にレジでお金を払ってから、パン類と飲み物類それぞれのショーケースに行ってもう一度注文しなければならない。イタリアにはこの方式の店が結構多い。注文するたびに指でもってレシートに切れ込みを入れる。
今日は街の東側に鎮座するサンタ・クローチェ聖堂に行く。ドゥオモのクーポラからもそのファサードが輝いて見えていた大きなバジリカである。例によってこのファサードが完成したのは19世紀も半ばになってからのことだから、ルネサンスの時代にはもっと質素な外観だったに違いない。
堂内の一室に最後の晩餐と生命の樹の壁画がある。壁画はこのくらいの大きさと高さでないとよく見えない。
中庭に面しては、ブルネッレスキ設計のパッツィ家礼拝堂が建っている。内部の構成はルネサンスらしく端正すぎるけれども、散りばめられたメダイヨンが彩りを添えている。 捨て子養育院のメダイヨンを作ったアンドレア・デッラ・ロッビアの伯父、ルーカ・デッラ・ロッビアの作である。
サンタ・クローチェ地区にはブオナロッティ家の屋敷というのもある。あのミケランジェロの苗字はブオナロッティだけれども、ここにミケランジェロが住んでいたわけではないらしい。見かけも陰気で特段のことはない建物にすぎない。名称も「カーサ・ブオナロッティ」であって「パラッツオ」ではない。
旧市街の東のはずれ近くに位置する、サンタンブロージオ市場まで行ってみる。駅のホームのような屋根の下に野菜や果物を並べている。こういうのもロッジアと言うのだろうか。いずれにしろ庶民的な市場の雰囲気だ。
街角を回り込むとチョンピ広場にもロッジアがある。ジョルジョ・ヴァザーリの設計で、魚を3匹組み合わせた青いメダイヨンがついている。もとは、魚市場にあったものだという。
広場から一気に南下してアルノ川を渡る。対岸の丘の上がミケランジェロ広場である。フィレンツェ旧市街を一望できる展望台で、ツアーでも必ず訪れる場所だろう。旧市街の中心からは少し離れているように思っていたのだが、実際に来てみれば、ポンテ・ベッキオ、パラッツオ・ベッキオのアルノルフォ塔、ドゥオモと鐘楼のお配置がピタリと決まっている。やはり名所は伊達ではないのだ。
広場の背後にはサン・サルバトーレ・アル・モンテ聖堂が静かなたたずまいを見せている。イル・クロナカの作品と言うことであるが玄関は閉ざされている。
更に坂道と階段を上り、サン・ミニアート・アル・モンテ聖堂に着いた。この中にある礼拝堂のひとつは、コズマーティ様式の渦巻くタイルの床と、ルーカ・デッラ・ロッビア作のメダイヨンで飾られた天井を備えている。華やかさという点ではフィレンツェで一番の見どころかもしれない。