UK & EIRE 周遊 1995年

1 ブラックプールまで

 

 

 1995年の年末はペルーとボリビアへの旅行を計画していた。しかし、帰りの飛行機がどうしても取れない。旅行会社に「どこでもいいから今から予約できる便を」とリクエストしたら、返って来た答えはパリ行きとロンドン行きだった。当時フランスは全土でストライキの真っ最中。それなら、まだ見ぬ鉄道発祥の地イギリスへ行くのも悪くない。ついでにアイルランドもまわって、子どもの頃に暮らしの手帖に掲載されていたアラン島紀行の地にも行ってみよう。(私の海外情報の源はすべて暮らしの手帖にあるのだ。)久しく使ったことのない地球の歩き方を購入して、大急ぎでプランを組み立てた。

 

 成田から乗る航空会社はヴァージン・アトランティック航空である。サービスが良く人気が高いと聞いていたのに、空席があったとは意外である。

座席のポケットにはアメニティ・キットがあり、歯ブラシ、クシ、靴下、靴ベラ、ボールペンにメモ帳、テレフォンカードまで入っている。

 正午に離陸して夕方ロンドン着というダイヤであるが、12月のことであるからシベリア上空はずっと真っ暗である。サンクトペテルブルクあたりまで来ると前方に朝焼けとも夕焼けともつかない明かりが広がった。

 

 

 ヒースロー空港から地下鉄に乗り、B&Bが集中してあるというビクトリア駅で降りる。しかし、街をひと回りしても空室が見つからない。駅に戻り、トーマスクックの事務所でラッセルスクエアのホステルを紹介してもらう。手数料を5ポンド(850円)もとられたが、やむを得ない。

 

 

 翌朝、ユーストン駅に向かう。ロンドンのターミナル駅では唯一の現代建築で、味気ないけれども、これもやむを得ない。

 駅のフードコートでイングリッシュ・ブレックファストの朝食をとる。ベーコンエッグ、ソーセージ、ビーンズと盛り沢山で大英帝国が世界を制覇した力の源を見る思いがする。お値段の方も4.85ポンド(820円)と朝食としてはそれなりに高い。

 今日の目的地はグレートブリテン島中部のブラックプールである。片道切符の当日購入のせいか、運賃は58.80ポンド(9550円)もする。乗り換え時間も含めれば4時間近くかかるのだし、特急料金込みだと思えば高くはないのかもしれない。

 

 

 この駅は12番線から14番線がインターシテイ専用ホームとなっている。特急相当の列車ではあるが外観は汚く、しかも乗車口は外開きの手動ドアである。車内に入って、この列車はHST125だと気がついた。私の子ども時代に最新鋭だった車両で、鉄道雑誌に写真が掲載されていたのを覚えている。ディーゼル機関車牽引で時速125マイル(200キロメートル)も出すのは驚きだ。

 途中駅の到着時間などをアナウンスして、7時40分、定刻に発車する。乗車率は20パーセントくらいで空いている。10分も走ると2階建てのタウンハウスが並ぶ住宅地の中に地下鉄の終点があり、さらに10分ほど走ると複々線もなくなり雑木林と丘陵地帯になる。うすぼんやりと明るい霧がかかり、どこかの工場に気温3℃と電光表示がでていた。

 8時20分、ミルトン・キーンズ・セントラル着。左手は雑木林である一方、右手には駐車場とも工場ともつかぬガラスカーテンウォールの建物が建っている。

 

 

 

 

 列車は単調な景色の中を突っ走り、定刻10時36分に乗換駅のプレストンに着いた。この前に停まったクルーもそうだが、町は小さくても駅はジャンクションにふさわしくガラスの三角屋根を連ねた堂々たるホームを構えている。

 

 

 プレストンではブラックプール・ノース行きのディーゼルカーに乗り換える。本数は少ないながら、ブラックプール・サウス行きというのもあって、途中から別ルートを通るらしい。

 

 

 

 

 2両編成の列車に揺られて着いたブラックプール・ノース駅は、ローカル線の終着駅にふさわしからぬ、吹き抜けの立派なコンコースを備えた駅舎であった。

 ブラックプールのお目当ては、この街の海岸沿いに走るトラムである。この電車、観光用でないものとしては長いあいだ英国で唯一のものだったのだ。

 

 

 

 

 駅からショッピングセンターなどを抜けて行くと海べりに通天閣の親玉みたいなタワーが聳えており、足元にトラムの停留所があった。海風に凍えながら電車を何本か見送る。この路線には半流線形の二階建て電車が走っているはずなのだ。しかし、やってくるのはバスの車体に櫓をのせてパンタグラフを取り付けたような、何とも無粋な車両ばかりである。とうとうあきらめて、北行の電車に乗り込む。1.30ポンド(220円)の運賃を払うと、運転手が傍らのマシンのボタンを操作し、するすると細長い切符が出てくる。これは英国のバスで一般的な方式だと後にわかる。

 

 

 

 

 ノース・ピアの停留所から南は運休だそうだから、そのせいで二階建て電車が走っていないのかもしれない。二階建てバスは走っているから、架線はいずれにしろ下げるわけにはいかないだろう。

 電車は海岸沿いのホテル群を見ながら走っていく。名高い保養地も季節外れの今は、ほとんどのホテルが休業しているようだ。ホテル群が尽き、住宅街も過ぎて荒地のような寂しいところを通る。大きな学校があって赤いセーターの男の子たちがサッカーに興じている。その先でフリートウッドの街中を路面電車となって走り抜け、街はずれの灯台のあるところで終点となった。

 

 

 線路に沿って歩いて見ると、なんだか侘し気な町である。小腹がすいたので、2.85ポンド(485円)のサンドイッチを買って食べ、フィッシャーマンズ・ウォークの停留所から帰りの電車に乗る。16時ちょうど、日没。

 

<2 ヨーク へ続く>

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