南アメリカ鉄道旅行で視力回復 1991年

12 MERVAL

 

 ロスアンデスから太平洋に面した港町バルパライソまでの鉄道はMERVALなる会社が運営している。この路線、トーマスクック時刻表では幹線を示す太字で示されている。しかし、ロスアンデス発の列車は平日の場合、朝7時10分発の1本しかない。(土日祝日は3本に増える。)だから、まだ真っ暗な6時15分に駅にやってきたのに、ドアは閉まっていて明かりもついていない。空にはおぼろな満月がかかっている。

 

 

 10分ほど待つと駅が開いた。ホームにはもう列車が入っている。列車といっても1両きりの客車が、400メートルはあろうかという長いホームにポツンと停まっている。1日にたった1本の列車のたった1両の客車というわけだ。

 

 

 駅の待合室には売店があってイワシの缶詰やスープブイヨンを売っている。なぜこんなものを売っているのか、はたしてこれらの商品を買うお客がいるのか謎ではある。肝心の切符はといえば、出札窓口は開かず、車内で買うしかない。

 

 

 客車をよく見てみると「Fiat Diesel」の文字が見える。裾に銀色のスカートも履いているから、元は流線型のディーゼルカーだったのだろうか。ドアの横には「1」と書いた札が差し込まれてもいる。トーマスクック時刻表の注記に、この列車は1等車のみ連結とあったのはこれかと思う。

 車内には深緑色の転換クロスシートが並んでいて、天井中央に一列の蛍光灯はひとつおきにしか点いていない。それでも、徐々にお客が集まってくる。車掌とも、顔なじみらしく「オラ!」「ブエノスディアス」と声を掛け合っている。自分以外のお客は合計12人であった。

 6時55分、口笛を吹きながら機関士がやって来て、客車の前後両方に、デッキのついた古めかしい電気機関車をつないだ。

 

 7時24分、ブォと低い汽笛が鳴り、発車。左右に、そしてスピードが出ると上下にふわりふわりと揺れ、窓のよろい戸がスルスルと下がってくる。ときおり、ガツンと突き上げるような衝撃もある。

 

 

 左右はブドウ畑、振り返れば雪を抱いたアンデスの山なみが遠ざかってゆく。川沿いには楡や柳の木があったかと思うとウチワサボテンやシュロの木もあって、気候の見当がつかない。

 

 

 

 やがて複線の線路と合流して広い構内のLlay-Llayに着いた。標高384メートルとある。架線の下にロスアンデス、サンチャゴ、バルパライソと行先が小さく表示してある。しかし、首都サンチャゴへの列車は運休中である。ここで進行方向が変わる。

 

 

 ジャイジャイからは運賃表にもない駅につぎつぎと停まる。枕木を階段状に積み上げただけの停留所も現れ、ラスベガスという駅もあった。乗客も増え、座席も8割方埋まった。

 

 

 やがて、ラ・カレラに着く。ここでホームの反対側に待ち構えていた電車に乗り換える。デッキに積んでいたびんジュースもケースごと引っ越す。中の1本が転げ落ちて割れてしまった。この駅はチリ北部への幹線鉄道の始発駅である。

 幹線とはいっても1メートル軌間だから、サンチャゴからのお客は乗り換えを強いられたわけで、不便さからか旅客営業はとうに廃止されてしまっている。直角に伸びるホームだけが電車の窓から見えた。

 

 

 だんだんと団地などが現れて、ゴミだらけの渓谷をどんどん下り、ビーニャ・デル・マールに停車する。名高い保養地とのことで、駅前広場には噴水があり、シュロの並木が伸びているのが望める。しかし、駅舎の方は錆びたトタン葺で冴えない。

 次の停留所を過ぎると、右手の車窓に海が広がった。太平洋である。前方にはバルパライソの街が霞んで見えている。

 そして11時30分、終点のバルパライソ・プエルト駅に到着。ささやかな大陸横断鉄道の旅は終わった。

 

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