春のローマ 1998年

1 ピンチョの丘 

 

 春のある日、ローマへの小旅行に出かけた。今回は関西空港からの出発なので、前夜に羽田から大阪に移動しておく。しかも、大阪からローマまでは直行のはずが全日空のストライキでヘルシンキ、ウイーン経由で4つの便を乗り継いでいくことになってしまった。

 

 

 

 

 ヘルシンキ行きはMD11、ウイーン行きはMD87、ローマ行きはCRJ100と乗り換えるたびに機体が小さくなる。反対に小型機の方が占有空間や乗り心地は良くなる。ローマ行きはラウダ航空の便で、なかなかに凝った食事が出されたが、本日4度目の機内食とあってはほとんど食べられない。

 21時40分、ローマのフィウミチーノ空港着。スケルトン・ツアーなので送迎車で市内に向かう。ベンツなので大層乗り心地が良い。

 

 

 ホテルはトラステベレ地区にあり、まあBクラスではあるけれども、バルコニーからはサン・ピエトロ寺院の大ドームも見えている。もっとも、ドームは一部が見えているだけで、よく見えるのは向かいのアパート屋上に林立するテレビアンテナの方である。

 

 

 バチカンを横目に見て、リソルジメント広場から市電に乗ろうとする。しかしなかなか電車が来ない。しばらくすると代行バスがやって来た。停電でもしたのか、線路上に電車が数珠つなぎになって停まっている。

 代行バスから乗り継いだ市電をボルゲーゼ公園の中で降り、ボルゲーゼ美術館を目指す。お目当てはベルニーニ作のプロセルピネーの略奪である。しかし、朝早く来たにもかかわらず、今日の入場券は売り切れとある。このとき既に入場は事前予約制となっていたのだが、知らなかった。

 

 

 

 

 ボルゲーゼ美術館はあきらめて、来る途中で見かけたカノニカ美術館に入る。ここもヴィラを改装した建物で、知名度が低いからか空いている。館員も親切で好感が持てる。

 

 

 公園の中を散策すると、いかにもローマらしい建物が点在していることに気が付いた。ブクレシュチやキシニョフでも似たような様式の建物を見たことを思い出す。

 

 

 

 

 

 公園があるピンチョの丘のへりに沿って、ローマ市街を望みながら南下する。やがて有名なスペイン階段にたどりつく。階段につつじの鉢が並べられてことのほか華やかだ。

 

 

 

 

 階段の下にはこれも有名なジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作、バルカッチャの泉がある。この泉の作者を父親のピエトロとする説もあるようだが、その根拠は領収書の宛名がピエトロだという点にある。領収書なら工房の代表者宛に出されて当然だし、この泉のような自由闊達な表現は父ピエトロにはないと思う。

 

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