フィリピンの巻 1990年

3 モーニング・トレイン

 4時30分起床。通りに出ると早朝から人通りは多く、商店も開いている。

 駅へ行き、マニラ行きの切符を購入する。「オーディナリー・トレインだけどいいのか?」と聞かれる。3等車に相当するエコノミーばかりの普通列車でも愛称がついていて「モーニング・トレイン」という。その名にふさわしく、ナガ始発は5時30分と早い。マニラまでの料金は86.9ペソ(610円)と急行よりも安くなった。

 駅のトイレは男女の別を「HE」「SHE」で表している。そういえば街じゅうに「WANTED」という貼紙があって指名手配かと思ったが、よく見ると「SELLING GIRL」とも書いてある。売り子募集の広告なのであった

 

 ナガを2分遅れで発車する。夜が明け始めて星が見えなくなると人工衛星らしき直線的な航跡が光って見える。窓からの風が涼しくて気持ちいい。

 

 

 普通列車だから村ごとに停車していく。ブレーキをかけると、カビの生えたパンのような饐えた臭いが立ち上ってくる。駅に停まると、側線を座席の付いた台車が走り抜けていく。これが、線路を勝手に使って走らせている「スケータ」というものだろう。たいていは発動機がついていて自走しているが、中には人間がキックして前進しているのもある。

 こうした自走台車は駅の前後数百メートルの範囲、言い換えれば人家がある村の中でしか見られない。運賃が幾らなのかは知らないが、いくら暑い国とはいえ横着なことだ。

 

 

 

 6時47分、シコポト着。パイナップル・パイ売りが来る。茶色とねずみ色のカニも売りに来る。シコポトを出ると検札に回ってくる。発車直後にも検札があったのだがと思いながらも、チョビ髭を生やした同じ車掌に切符を差し出す。

 

 

 

 7時27分、ルピ・ビエホという駅に着く。駅舎との間の線路を自走台車が次々とナガ方向に走り去る。その後から本物の列車が入線してきて、こちらも発車する。自走台車はごく軽く出来ているらしく、他の台車や列車と交換するときは乗客を降ろし、前後についたかじ棒を二人で持って脇によける。乗客も手慣れたもので、乗降の動作が素早い。一人で乗っているときに本物の列車がやってきたらどうするかといえば、台枠に手をかけて線路わきにひっくり返してしまえばよいのだ。

 

 

 

 8時16分、バンガ・ケーブス着。低い生垣が駅前商店街に続き、花壇に囲まれた教会もある小綺麗なところである。洞窟が観光地にでもなっているのだろうか。駅舎には321.155Kmと、マニラからのキロ数が表示されている。既にナガを出てから3時間もたっているのに、まだ60キロメートルほどしか進んでいない。

 

 

 周囲の座席では男たちが砂糖キビ酒と茹でピーナツで朝から酒盛りをはじめた。少しお相伴に預かる。気のいい人たちではあるようだ。

 このあたりから列車は7~8分走っては、20~30分の停車を繰り返すようになった。客車の前方には貨車も連結されていて、駅ごとに雑多な物品を積み下ろししている。

 

 

 

 11時20分、297.73キロメートル地点のガドフレド・レイエスという駅に着く。チコという果物を売りに来る。値段は8個で3ペソ(20円)。直径は5センチメートルほど、外観はキーウィフルーツの小型版で、食べてみると味も舌触りも干柿そのものである。

 1個8ペソ(56円)のパイナップル・パイも買って昼食とする。周りの男たちはブリキの鍋に入れた飯を取り合って食べている。

 

 

 12時ちょうど、ヤシの木の向こうに水面が見える。岸辺に波はないけれど、これは海なのか湖なのか?列車が走っているルソン島の南部は細長い半島になっていて、左右どちらにも海が見えるはずである。その他にも大きな湖がいくつかあり、手持ちのおおざっぱな地図では今どこを走っているのかも定かではない。しかし、入江の奥にアウトリガーの付いた小舟がたくさん停泊しているから、これは海なのだろう。

 やがて、干し魚の匂いのするタグカワヤン駅に停まる。魚の干物や煎餅状に固めた小エビを売りに来る。

 

 

 

 今度は右手に水面が見えて、14時55分、ロペス着。229.801キロメートル地点である。ここまで150キロメートルに10時間かかっているのだから、この調子で行くとマニラ到着は翌朝になってしまう。もっとも深夜の駅に放り出されるよりましかもしれないが。

 この駅のトイレにはタガログ語で「BABAE」「LALAKI」と書いてある。

小腹がすいたので、ゆでたまごを買う。殻をむくと孵化しかけの雛が入っている。話には聞いていたが、実見するのは初めてだ。周囲の男たちが好奇の目で見ながらうなずいている。気味が悪いので黄身だけ食べる。味は覚えていない。

 

 

 トイレに行こうと客室の橋へ行くと、扉框に「FULL FARE」「HALF FARE」と黒ペンキで印がつけてある。トイレは狭く汚いながらも男女別にあって「MEN」「WEMEN」と表示されている。

 

 

 

 17時、サン・イシドロに停車する。頭の禿げあがった車掌が来て、本日5回目の検札をする。今度は左手に海が見え、17時40分、ヤシの木立を透かして夕陽が沈んだ。

 「このぶんでは、マニラ到着は夜9時頃になるでしょう」と乗客の一人が言う。しかし、18時に着いた駅では1時間30分も停車した。天空にはオリオン座、地上には蛍の光。しかし、いつまでたってもマニラには着かない。

 

 結局、マニラのパコ駅に着いたのは、モーニング・トレインの名にふさわしく、日付が変わった1時20分であった。タクシーを拾って手近なホテルに急いだ。

 

<4 マニラ へ続く>

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