地図から始まる旅 ウクライナ 2018年

3 リボフ

 目が覚めたときには、もうリボフの近くに差し掛かっていた。しかし、朝までぐっすり眠ったわけではない。夜中に、突き上げるような激しい揺れで、何度か起こされてしまったのだ。ウクライナを含め旧ソ連の鉄道についての旅行記は数多いが、乗り心地が良かったとの記述はあっても悪かったというのは見たことがない。経済的に窮状にあるこの国では保線もままならないのだろうか。この後に乗った日中に走る列車でも保線作業をする人の姿などは見られなかった。人海戦術の時代ではないということならばいいのだけれど。

 車内では車掌が紅茶やコーヒーを配っている。インターネットでの予約の際に一緒に注文できたのだが、あえて頼まなかった。朝の飲み物は魅力であっても、銀色のはかまをはいた大きなガラスコップで、飲みきれそうにない。

 列車はリボフの街中に入り、ピドザムチェ駅に停車した。駅名は「城下」という意味で、リボフの旧市街にはこちらの方が近い。しかし駅にも駅周辺にも食事のできるところすらなさそうなので、ここでは降りない。そんなことも事前に調べられてしまうのはすごいことだと思う反面、何も知らずに降り立った駅で途方に暮れるような印象深い場面には出合いにくくなったわけで、これを進歩と言えるのか微妙なところだ。

 

 

 

 

 さらに数分走って、中央駅に着く。到着したのは、ここでも駅舎に接した「1番線」だ。キエフの1番線は広々としていたが、こちらは随分と狭苦しい。駅舎自体も横長で一見堂々としているのだが、案外奥行が狭いようだ。全体に手狭だからか、近郊電車用の駅を別に設けているけれども、それほど列車の発着が多いようにも思われない。

 

 

 

 駅前広場に出ると雨上がりで地面がぬかるんでいる。水たまりもあちこちにできている。足元はそんな状態でも、トラム乗り場のそばには「エクスプレス」という近未来的な建築の軽食堂が建っている。ひきわりのソバ粒を食べ、カプチーノを飲む。

 

 トラムに乗って街の中心に向かう。運転席仕切扉の小ポケットでチケットを買い、キャンセラーで穴を開ける。キエフと同じ方式である。

 

 

 

 

 旧市街中心のプローシャ・リノクで降りる。7時を回っても空はまだ真っ暗である。ナトリウムランプに照らされた道にも人っ子一人歩いていない。

 

 

 

 

 

 

  旧市街の北側に接した「城山」に登ると夜が明けてきて、犬の散歩をする人たちとすれ違う。展望台から見るリボフの街は低い山並みの間に隠された秘密の街のようだ。

 

 

 

 

 

 街に戻り、アルメニア教会に入る。教会はさすがに朝から開いている。内装はカトリックとも正教とも違い、ケルトを思わせるような模様で飾られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 9時を過ぎ、ようやく街が起き出してきた。市庁舎の塔に登る。普通のオフィスの中を通りぬけた先にチケット売り場がある。今日は土曜日だからオフィスは閉まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、ウクライナとはいったい何だろうと思う。このリボフは今やウクライナ文化の中心であるがごとく宣伝されているけれども、街の構造はどうみてもポーランドのものである。

 

 

 リボフでの宿泊はプライベートルームである。そんなところまでインターネット予約できるのだから便利になったものだ。12時から13時の間にチェックインしろとあるので、早めに昼食を済ませて行ってみる。旧市街から15分ほど歩いたところにある、5階建てのアパートである。ところが、アパートの1階玄関に立ったものの、表札が出ていない。プライベートルームが何号室かは案内されていないのだ。扉は開いたので階段を上がってみるが、やはり何の表示もない。1階に戻って、呼び鈴を順番に鳴らす。電話番号はわかっているから、携帯電話で呼べということなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 なんとか無事にチェックインできたので、再び旧市街に舞い戻って歩き回る。ショーウインドウを覗いて回るのも楽しい。特に子ども向けの店がきらびやかだ。

 

 

 詩人タラス・シェフチェンコの記念碑。街並みがしっとりしているから、こうしたモニュメントも映える。

 

 

 

 旧市街東側には、部分的に城壁も復元されている。そばのシナゴーグはただの跡地でしかない。

 

 

 こうした旧市街の例にもれず、古い薬局が今でも営業している。

 

 

 

 

 広場に面した歴史博物館に入ってみる。イタリア風の中庭がある。といっても、長方形の小さな中庭で、本家イタリアには及びもつかない。肖像画の女性は何となくマリアテレジアに似ている。ポーランドの田舎貴族でもどこかで血がつながっているのかもしれない。

 

 

 

       バターの種類が豊富

 

 数百メートル四方の旧市街の外側には南北にそれぞれ小さな市場がある。南側のガリツキー市場は食料品も売っていて活気を呈していたが、北側のドブロブート市場は服飾の店が中心だったのがほとんど撤退していて、消滅寸前であった。

 

 

    キャロットケーキ                 カッテージチーズパイ

 

 歩き疲れると喫茶店に入り、ケーキとコーヒーでエネルギー補給をする。メニューにキャロットケーキがあるので注文してみる。本場イギリスのものとはだいぶ違うけれどもこれはこれでおいしい。

 

 

 

 

 

 旧市街の中には西側にお土産もののベルニサージュ市場があり、東のはずれの公園には古本市が出ている。この古本市でアガサクリスティーのロシア語訳ペーパーバックを2冊買った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 市庁舎広場とオペラ・バレエ劇場前にはこの季節ならではのクリスマスマーケットが開かれていて、時間が遅くなるにつれ賑わってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 ガリャーチャエ・ピーヴァという飲み物がある。名前はホット・ビールであるが飲んでみるとホットワインである。八角やらレモンやらが入っている由で、体が温まる。

                

 

 

 

 

 夜になり、8番のトラムに乗って郊外のドブジェンカという停留所で降りる。ここの劇場でニナ・キルソというポップス歌手のコンサートがあるはずなのである。しかし、映画館はあっても、コンサートのポスターなどは見当たらない。だいたい、お客もいない。窓口で聞いてもそんなものは知らんと言う。

 実は事前に予約しようとしたのだが、ウクライナ全土のエンターティメント予約サイトでもこのコンサートは予約に進めなかった。その時点では、ロシアとウクライナの戦争の影響で中止になったのかと思っていたが、このとき彼女は既に病に倒れていて、2020年に56歳で亡くなってしまったのだった。

 

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