ビルマの巻 1988年 

3 イラワジ川航路 パガン行 

 夜明け前、ツーリストバーマのバスが迎えに来る。欧米人の観光客20人ほどに混じってイラワジ川の岸辺まで行く。何隻もの船が縦列に停泊していて、それらの1階を伝って行く。どの船もビルマ人たちでごった返している。3艘目で呼び止められて階段を上がる。

 

 

 アッパーデッキはいわば1等でほとんどが外国人の観光客だが、ビルマ人も何人かは乗っている。黒メガネをかけた実直そうな男性もいて、この人はツーリストバーマの係員ということだ。

 

 

 

 夜が明けて、6時、出航。朝もやに包まれた川面は寒い。しばらくは同じ方向へ行く船と並走して追い抜いたり抜かれたりする。それも、だんだんと散り散りになっていき、ただ一隻で流れに乗って南下していく。

 

 

 30分ほどで右手にパゴダが並んだところを望む。ツーリストバーマ氏がザガインだと教えてくれる。ここで朝食となる。トースト、バナナ、ゆで卵がそれぞれ2個づつ。バナナは欧米人に人気がない。

 ときおり行き交う小舟を見ると、クロスさせたオールで漕いでいる。こうした方が梃の原理で力が入りそうだ。

 

 

 9時20分、ニムという小さな町に着く。年配の人が船に近寄ってきて「戦争中はこの町にも日本人がたくさん遊びに来ました。また自由にビルマへ来てください」と言う。

 空はすっかり晴れ上がり、左右の土地はサバンナ状の大平原になってきた。

 

 

 11時20分、小さな村に停泊する。桟橋も何もなく、泥の斜面に直接、横付けする。

 このあたりで昼食。肉の甘辛煮ミックスベジタブル添えと野菜スープにデザートとしてマンゴーがつく。外国人が先で、その後にビルマ人と分けられている。出てくるものも違うようだ。

 14時10分、今度はティータイムとあいなる。この辺りのサービスはイギリス式だ。

 

 

 

 

 14時40分、倉庫を兼ねた浮桟橋があるパコックにつく。タオルや織物を持った少女たちが外壁にへばりついて船の到着を待っている。接岸すると、アッパーデッキに向かって「Tシャツや口紅と交換しよう」と叫び出す。

 

 

 平原の向こうにポパ山を望みながら、もう一息航行する

 16時前、パガンの外港であるニャアンウーに着いた。船を降りると、もう夕方だというのに恐ろしい暑さだ。

 

 

 パガンの中心まではバスで送ってくれる。タラバー門という小さな門を通ると、道の左右に観光客向けの施設が立ち並んでいる。その中のパラダイスホテルに入る。ホテルと称しているが、ゲストハウス程度の設備である。ツーリストバーマ氏の名刺の効果なのか、扇風機つきのいい部屋に入れる。アメリカ人らしきおばさんが部屋を覗きまわっている。明らかに設備に不満で、もう少しましな部屋がないか物色している様子である。

 この宿の主人は、元通訳だったとかで「日本語、忘れました」と言う。

 

 宿の向かいにはビルマ航空の事務所があるが、ここでは国内線のリコンファームしかできないという。並びに、ポスト&テレグラフ・オフィスというのもあるのだが、これもただの差掛け小屋で電信設備はおろか、机も椅子もない。ツーリストバーマに行き、ラングーンに戻るバスと列車の連絡切符を予約する。予約といってもノートに名前を書いただけで、明朝8時に切符を取りに来いと言われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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