ビルマの巻 1988年

4 連絡運輸 ペグー行 

 ツーリストバーマのバスはパガン発14時30分。乗客はほとんどが欧米人の観光客であるが、ビルマ人も何人か乗っている。フロントガラスの割れたところを板で修理してある。

 トラックが行き交う未舗装の道を1時間走って、15分間の休憩。レストランの前でくじを売っているおっさんが「ミヤータにはパゴダがたくさんある」と日本語で言う。くじは1本2チャット。レストランで紅茶を頼むと1チャット50ピャーでお釣りに25ピャー硬貨が2枚出てきた。この国で流通している硬貨にお目にかかるのは初めてだ。

 そこからは火山灰地のようなポパ山のふもとを走り、17時に大きな町に着き、ホテルに入る。外国人だけがバスを降りて夕食を供される。このホテルは大きな川の畔にあると思っていたが、出発すると堤防の上を走ったので人造湖らしい。水辺や水中に寺院が見える。後で調べたらメイティーラーという町だった。

 

 

 ここまでの途中では何度も線路を横断した。列車や駅も見えたけれど、外国人は乗れない。外貨兌換券があるわけではないから、駅に行けば切符を買えそうにも思えるけれど、ビルマ語が読めなければ地名もわからない。いずれにしろ、8日間のビザでは主要観光地を回るだけで精いっぱいである。

 

 

 

 

 

 19時ごろ、ほぼ定刻に乗換駅のターズィに着く。交通の要衝だから駅前にツーリストバーマもある。しかし、他には何もない平凡な町である。

 今回乗るのも行きと同じファーストクラスである。大した値段の差ではないのでアッパークラスに乗りたかったのだが、やはり満席だったのだ。夜中になると床で寝る人も多い。何も敷かずにごろ寝するのである。これも往路と同じだ。

 3時頃、大きな駅に停まる。甘くてミルクたっぷりの「チャイ」を少年の売り子から買う。使いまわしのプラスチックコップで飲ませる。飲み終わらないうちに列車が走り出してしまい、少年は大慌て。これでは代金のとりっぱぐれもありそうに思う。

 次に目を覚ますともう夜は明けていて、小さい区画の水田地帯を走っている。稲の成長具合は田によってまちまちで、生えている密度がものすごく濃く見える。

 5時20分くらいになると皆起き出して、トイレや洗面所に行く人も多い。床でお祈りを始める人もいるし、朝から「クリシュナムルティ」とかいう本を読んでいる人もいる。

 洗面所のコックの説明はハングルである。この車両、韓国製なのだろうか。

 そういえばこの車両には帽子掛けもなければ、テーブルもない。無くて良いのだが、灰皿もない。特に表示も見当たらないけれども、車内でたばこを吸う人はいない。ついでにいえば、座席番号はビルマ数字だけしか書かれていない。

 6時が近づくと車内に食べ物の売り子が回ってくる。葉っぱにくるんだものもいろいろあって、ひとつ買ってみると甘いおこわである。おいしかったので、別な種類も買ってみる。こちらは具の入った「笹餅」で、包んだ葉っぱの香りが移ってさらにおいしい。そのせいか、ひときわ良く売れているようであった。

 

 

 

 朝霧の向こうに大パゴダが見えてきて、ペグーに到着する。構内に蒸気機関車の姿が見える。ビルマ人もその辺を勝手に歩いているから、ホームを外れて近くまで行ってみる。後ろにつないでいるのは廃車体ばかりであるものの、まだ蒸気機関車が現役で使われているのだ。

 

 

 

 

 

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