東ヨーロッパの巻 1993年

5 タトラ山地

 なかなかに衝撃的かつ面白かったルーマニアからいったんハンガリーに戻る。税関の係官は5000レイ以上は持ち出し禁止と言い、両替屋も回ってこない。

 デブレツェン、ミシュコルツと経由してスロバキアに入る。途中、ワインで名高いトカイを通る。車窓から見る限り、葡萄畑は丘ひとつを占めているだけで、どれだけの生産量があるのだろうと思う。

 

 スロバキアに入国する時も両替はできなかった。ミシュコルツで買えた切符は、ハンガリー国内区間だけのものである。スロバキア国鉄の車掌が来て、ポプラド・タトリまで83コルナ(415円)という。コルナがないと答えると、ポプラドで一緒に駅へ来いと言う。しかし、しばらくしたらもう一度やってきて、5ドルを徴収していった。少々割高であるがいたしかたない。

 

 

 列車は低い山の中に分け入り、谷間には赤い屋根の家が並び、別荘地らしきものも数多く見える。やがて牧草地の向こうに雪渓の残る荒々しいタトラ山地が見えてきて、ポプラド・タトリに着く。この駅からは山の麓にある保養地に向けてT字に支線が伸びている。タトラ山地だからというわけでもなかろうが、チェコスロバキアが誇る高性能トラムのタトラ・カーが走っているのだ。

 

 

 

 

 タトラ・カーに乗り換えて、スタリー・スモコベツで降りる。観光案内所でホテルを紹介してもらう。今日は1泊285コルナ(1425円)だが、休前日の明日は450コルナ(2250円)だという。

 

 

 

 村はずれからケーブルカーが出ている。上の駅は森の中で、一緒に降りた人たちについて行ったら小さな滝があった。大した距離ではなかったので帰りは歩いて下る。さすがに空気が清々しい。

 

 

 T字になった路線の左上の終点、シュトルフケー・プレソからはラックレールの路線があって、朝に乗ってきた幹線の駅に接続しているので、乗ってみる。シュトルフケー・プレソまでのタトラ・カーもその先のラック電車もほとんど樹林の中を走り、山側も下界側も眺望はきかない。宿泊施設などもほとんど見えないが利用客、運行本数とも多い。

 

 

 

 幹線の駅、シュトルバは大きな駅舎があるが、駅以外何もないところである。段差になった1番線ホームに列車待ちの乗客たちが座り込んで長閑な駅だ。客車の横腹には鉄道事業者の略称が大書きされていて、チェコスロバキア国鉄のČSD とスロバキア国鉄のŽSRとが混在している。チェコとスロバキアが分離してから半年余りしか経っていないのだ。硬貨もチェコスロバキアのものが一部流通しているし、ビザもスタンプは同じで上部に国名の略号をペンで書いて区別しているだけなのだ。(チェコの方はご丁寧にも「チェコ共和国のみ」と注釈つき)

 

 

 不思議なのは東京にある両国の大使館で、元のチェコスロバキア大使館なのだが、今日の事態を見越していたかのように、二つの部分に分けて使える構造なのである。

 

 

 さて、スタリー・スモコベツに戻り、宿泊とは別なホテルのレストランで夕食。ワインやスープもついたシュニッツェル定食風のセットで98コルナ(490円)と意外と安価だ。食事を終えて外に出ると、スーパーマーケットも18時で店じまいしてしまっている。閉まりかけていたカフェで「タトラン」という地元の瓶ビールを仕入れて、部屋に帰って飲む。

 

 

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 ミニバスを国境で乗り継いでポーランドに入る。バスは、なだらかな斜面に広がる牧草地を望んで走る。兜造りのような民家も見える。

 

 

 ザコパネに着き、中心街へ歩いてゆく。緑の中にこけら葺きの建物が点在していて公園都市といった趣がある。

 

 

 

 繁華街を抜けると、道はそのまま市場に続いている。あちこちの店で茶色いパンのようなものを売っている。大はバタールのよう、小はスイートポテトのように見え、中間の大きさのものには三つ編み状の装飾がついている。パンにしては値段が張るので尋ねてみたらチーズだと言う。

 

 

 市場の外れにケーブルカーの駅がある。登った先は、ザコパネの街とタトラ山地を望む展望台で、草の斜面で人々が日光浴をしている。牧草地の中、尾根筋に平坦な舗装路が伸びているので、ぶらぶら歩いてゆく。至福の時である。

 

 

 

 

 斜面を歩いて街に戻る。繁華街から裏手に回ると木造の教会がある。表に円空仏を思わせる彫刻が並べられている。

 

 

 

 

 

 タトラ山地の北側に位置するザコパネは、光にあふれた、予想外に賑やかなリゾート地であった。

 

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