台湾四分の一周 一人二脚 2018年
2 花蓮の市場巡りとローカル特急
花蓮空港に着陸。歩いてターミナルビルまで行く。白黒大理石張りの豪華な空港は全く人影がなく、廃墟のようである。
タクシーに乗り、行先を書いた紙片を差し出す。返事は日本語で返ってくる。車内に流れている曲も日本の演歌である。名前だけは知っていた「上海帰りのリル」や「長崎は今日も雨だった」がかかる。
街の中心が近づくと、檳榔の店が次々と現れる。串団子の花魁みたいな派手な看板を出しているからすぐにわかる。しかし、あまり流行っている様子はない。台北では全く見かけなかったから、檳榔子を噛む習慣などもう過去の遺物なのだろう。
何だか楽しそうな小学校だ
ホテルに荷物を置いて、早速、夜市へ出かける。歩道にも大理石のかけらが敷き詰められている。
この夜市が出ている場所は、軽便鉄道時代の花蓮駅跡である。コの字型になった通りは「各省一條街」「原住民一條街」「福町夜市」と名付けられている。台湾島に元から住んでいた民族を昔は「山地同胞」と言っていたのが、今は「原住民」と呼ぶらしい。
「各省」には遊技場が多く、「原住民」には飲食店が並んでいる。生ジュースの店などは特にきらびやかだ。看板に平仮名も見える。台湾では日本語がファッションのように使われることがあるという。これだなと思う。
フィリピン人のような風貌をしたおばさんの店で竹筒飯と魚の塩焼きを注文する。すると、厨房の中へ入れと言う。厨房を通り抜けて裏側にまわるとテーブルが並んでいる。ここはフードコートのように使われているらしい。身のしっかりした魚でお腹いっぱいになる。
ところで、今夜の宿泊先の名は「和平公獄」という。刑務所風のインテリアが売りで、多少子ども騙しのような気もするが、値段は安いのに設備の整ったホテルであった。
翌朝、昨晩の夜市に隣接した場所にある重慶市場へ行く。夜市が地元民も含めた「観光」の場なら、こちらは昔ながらの生活の場であって、さらに野趣に富んでいる。市場から伸びる重慶路にも野菜や果物の屋台が延々と続いていて、ドラゴンフルーツが一つ5元(13円)などと出ている。
ホテルをチェックアウトして、廟口紅茶という店に立ち寄る。店頭の鉄パイプの中を紅茶が通っているのだそうだ。朝から名物のマカロンを食べる。巨大な台湾式マカロンで、西點草苺と書く。
駅へ向かう大通りの中山路に出て北上する。駅まではまっすぐ行っても4kmはある。それなのに歩いて行くのは、バス路線がよく分からないせいもあるが、途中に市場が点在しているので、それらを巡りたいからでもある。
地図には、先ほどの重慶市場の他にも、復興市場、中華市場、大同市場といった名称が見られる。順に見て回ったが、段々に規模が小さくなり、寂れていく。最後の大同市場などはもはや風前の灯である。
復興市場
中華市場
暑い、暑~い中山路を歩いて行く。スイカジュースを飲んでもまだ足りない。
我家高山茶という店で台湾紅茶の茶葉を土産の購入する。竜眼をくれたので、近くにある自由広場で食べる。本物の刑務所だったところだから「自由」広場なのであって、政治的な意味があるわけではない。
ワンコもへばっている 花蓮文化創意産業園区
蓮霧の樹
ようやく駅前広場までやって来た。ここまで来ると観光客らしき人がたくさんいる。花蓮は今でも第一級の観光地だと思うが、夜市で欧米人の旅行者を数人見かけたほかは、地元民しかいないように思えたのだ。
とにかく喉が渇いているので、駅前広場に面したコンビニエンスストアでペットボトル飲料を仕入れる。ついでにトイレも借りる。「目標三無」と貼紙がしてある。三無とは無味、無垢、無塵だそうで、後の二者は理解できるが、無味とはどういうことだろう。
駅はお客でごった返していた。台北からの北回り線とともにできた花蓮「新」駅とはいえ、既に開業から40年近くたっており手狭になったのだろう。となりに新駅舎を建設中である。
切符は事前にインターネットで購入してあるからあわてる必要はないのだが、一応、駅舎内を確認しておく。
ホールに並べられたベンチにはぎっしりと人が座っている。それだけでなく通路部分にまでベンチが並べられ、そちらも全部ふさがっている。お昼時でもあって、弁当を食べている人も多い。
売店はどこだろうと見渡すと改札口の脇にワゴンがあって、高校生くらいに見える女の子が弁当を売っている。なかなか商売熱心で、客が途切れる度にマイクを取って「ビンタン、ビンタン」と放送して、積み重ねた弁当がどんどん減っていく。上にのっている具は多少違いがあるらしいが、どれも100元(260円)である。一つ購入して、表にしつらえられた葭簀張りの休憩所で食べる。「懐舊排骨菜飯便當」とも「台鐵便當」とも書いてある。紫色のサトイモやパクチーがいかにも台湾らしい味を出している。
ここから乗るのは12時51分発の自強号である。自強号といえば、かつては台湾の最優等列車であって、台北から高雄への西部幹線にしか走っていなかった。今は新幹線もできたし、
普悠瑪自強号などという最新鋭の列車もあって、ただの自強号は影が薄いようだ。駅はあんなに混んでいたのに、乗り込んでみればさほどの乗車率でもない。足のせまでついたゆったりとしたシートの車両ではあるが、全体的にくたびれた感じがする。
指定の席は山側なので、海にまで迫る山塊の様子がよくわかる。崇徳という駅などは、裏手の崖がオーバーハングしているかのようで、地震が起きたらひとたまりもなさそうだ。実際、地震はよくあるわけで、他人事ながら心配になる。どの駅にも水泥(セメント)工場があり、時おり渡る川の水もセメント色である。
1時間弱の乗車で蘇澳新駅に着いた。