ユーレイルパスの巻 1985年

2 EC諸国とスイスの段

 

 デンマークから西ドイツへも連絡船で渡る。さすがに西ドイツへの船だけあって早速ビールで酒盛りをしている一団がいて、お相伴に預かる。
 西ドイツではいくつかの都市で路面電車に乗った。
 初めに行ったのはルール地方にあるクレフェルトという街である。なぜこんな無名の街に行ったかというと、この街とデュッセルドルフを結ぶKラインという路線があって、路面電車の食堂車があると雑誌の記事で読んだからだ。結果的には食堂車は見当たらなかったけれど、田園地帯では高速で走り、デュッセルドルフ市街に入れば各駅停車の市内系統を横目に快速運転をするという路線で、これがヨーロッパのトラムなんだと感じた。

 

フライブルク


 他にもハイデルベルクやフライブルクでもトラム体験をしてた後、スイスに入った。

 チューリヒでは一日乗車券を買って街を歩き回った。ところが、2回目の検札に引っかかった。1回目のときは何ともなかったのにと訝りながらも促されて停留所に降りる。係官が「日付の刻印が必要なんだ」と言って切符を裏返して見せる。よくよく見れば、何か国語で確かにそう書いてあるけれど、小さな文字であって、外国人が人目見て理解できるような表記ではない。ヨーロッパの路面電車では、乗車したら切符を車内の刻印機に通すことというのはもちろん知っていたし、これまでの各都市でも実行していたが、それは1回券や回数券のことで、一日乗車券は買った当日有効と思い込んでいたのだった。「中央駅前の案内所で買った。刻印が必要とは知らなかった」と言ったら、携帯していた無線機でどこかに連絡して許可をもらったらしい。「次に乗ったら刻印しろ」と言って無罪放免してくれた。 

 

チューリヒ

 

 チューリヒからはスイス東部のサンクトガレンやアッペンツェルといった地方の小私鉄を乗り回した。サンクトガレンでは大雪、アッペンツェルでは軒先から雪解け水がしたたり落ちていた。それが、アッペンツェルからライン川の谷に位置するアルトシュテッテンへと下っていくと、たちまち雪が消え、空も晴れてきた。この区間は急勾配を克服するためにラックレールが使われていて、ケーブルカーのような乗り心地と車窓展開であった。

 

プフェフィッコン

 

サンクトガレン


 さらに、ベルニナ鉄道でイタリアへと抜ける。沿線はまだ完全な雪景色で、氷河も湖も区別がつかない。そのかわり車内はガラガラで、ゆったりと座っていられる。スキー場はあまり目立たない。むしろ線路に沿って「歩くスキー」をしている人がたくさんいて、この方が風景や山の空気を味わうにはふさわしいように思われた。

 

ベルニナ鉄道 ブルージオのループ

 

 荘厳なミラノ中央駅からリビエラ急行という夜行列車に乗り、今度は北上する。コンパートメント車だから座席を引き出して横になれる。しかしスイスを出入りするたびに税関や出入国審査で起こされる。暖房のスチームも上がらず、名前ほど優雅な列車ではない。

 

ルクセンブルク

 

 リビエラ急行を降りたのは、フランスを通過したルクセンブルクである。この駅では、列車が到着したときに「リュクサンブール」と駅名を喚呼していた。今回の旅行では、駅側で駅名を放送するのはここだけだったように思う。
 
 ルクセンブルクからベルギーへの路線はダイヤが大幅に乱れていた。理由は不明。この列車も途中で打ち切りである。ナミュール駅で降ろされて待合室の地図や時刻表を眺めているうちに、シャルルロワとOttigniesという駅とを結ぶローカル線に気がついた。こんなローカルな路線まではトーマスクック時刻表に載っていない。しかも、シャルルロワでは中央駅格であるシュド(南)駅ではなく、ウエスト(西)駅から出るとある。ウエスト駅がどこかはわからぬが、そう大きい街でもないはずだから、行けば何とかたどり着けるだろう。
 ところで、Ottigniesは「オッティグニース」と読めばいいのだろうか?いずれにしてもブリュッセルに近い幹線上に位置する駅であるから、駒を進めることができて好都合である。

 

シャルルロワ・シュド


 シャルルロワ・シュド駅に降りる。駅前広場の片隅にループ線があって古ぼけた路面電車が停車している。案内図をみると、うれしいことにウエスト駅を通るとある。系統はいくつかあり、郊外で分岐しているらしい。車内では子どもたちが遊び回っているし、発車すると運転士が丸めた紙くずを窓から投げ捨てた。ドイツのトラムとはずいぶんと雰囲気が違う。系統番号が80番台なのも郷愁を誘う。走り出せば、ウエスト駅まではわずか2停留所だからすぐに着いてしまう。地平からいったん高架に上がり、ウエスト駅前の停留所は地下にあり、この先はまた高架と上り下りがめまぐるしい。地下に潜る手前に線路が分岐していて市街地へ続いているけれども、こちらは使われていないらしい。近代的な車両も投入されているから、廃止とはならなそうだが、利用客はほとんどいないし、この先どうなる事やらわからない。

 

シャルルロワ・ウエスト


 ウエスト駅からの列車はリベットの浮き出た古風な客車で、座席は木のベンチであった。それでも後尾の機関車を先頭の客車で制御できるのだから立派なものだ。列車は暮れ行くブラバントの田園地帯を淡々と走っていった。

 

ゲント

 

 ベルギーではゲントとブリュージュを見て、海岸を走る長~いトラムで終点のクノッケへ出た。ここで南西オランダバスに乗り継いで国境を越える。国際路線といってもただのローカルバスで、小学生が通学に利用したりしている。

 


ブリュージュ

 

 バスの終点から海峡とも河口ともつかないところを船で渡り、フリッシンゲンから再び列車に乗ってアムステルダムを目指して北上する。平坦な農地が続き、これがポルダーかと思う。

 アムステルダムでは見つけたい風景があった。子どものころ家にあったジグソーパズルの風景である。それは、雑多な船が係留された運河の風景で、妻面が段々になった建物が並ぶ通りの向こうには時計の付いた塔が建っている、そんな景色だった。
 アムステルダムの塔といえば、どのガイドブックでもムント・タワーというのが第一に挙げられている。トラムに乗り、タワーの近くで降りて歩き回る。水面には船がほとんどなく、すっきりしている。その程度の変化は予想していたが、どうも思い当たる風景に行きあたらない。塔自体も記憶にあるのとは違うようだ。

 

アムステルダム

 

 アムステルダムから再び夜行列車でパリへ南下する。セーヌ川の岸辺を散歩すれば、朝から犬のウンコだらけである。フランス革命の舞台となったバスチーユ広場も大規模な再開発工事中で往時を偲ぶべくもない。天気もどんよりしているし、何か食べたくてもどの店も混みあっている。憧れのパリのはずが、どうにも冴えない印象である。

 

パリ


 パリからはシュド(南)急行で一気にリスボンまで行く。始発駅は南東に位置するオーステルリッツ駅である。パリにいくつかある始発駅の中では地味な存在であるが、駅舎を貫いてメトロの車両が行きかっているのが変わっている。対岸に立ち並んでいるのは、味気ないガラス張りのビルである。しかし、セーヌ川に沿った並木の中に市電の線路がまだ残っている所があって、そこだけが郷愁を誘った。


 列車は時速200km/hでフランスの大地を疾駆する。パリを出て1時間で車窓から雪が消えた。

 この列車には軽食堂車がついているので行ってみる。ところが、これはレンジでチンしたステーキをセルフサービスでテーブルに運ぶというお粗末なサービスぶりで、味の方も期待外れだった。この国では美味しいものを食べたければ、お金を出すしかないようである。

 

 朝、パリを出たシュド急行は、夕方にはスペインに入る。スペイン内では食堂車が連結され、食事時間になると給仕が鐘を鳴らして知らせて回る。こちらはコース料理が安く供されて、味も雰囲気も申し分ないものであった。

 

<3 イベリア半島の段 へ続く>

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