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世界の高いところから

ペーパー一級建築士によるSkyscraperガイドと怪しい旅の話

僕は日本最大の流域面積を持つ利根川沿いの街で育った。
子供の頃はよく川で遊んだものだ。
川遊びは危ないなどと当時はあまり言われなくて、日が暮れるまで遊んでいた。

夏が近づくと利根川の河川敷には無数の蛍が飛び交っていた。
友達とよく蛍を捕まえに行ったっけ。
囚われの身になっても蛍は一生懸命に尻を黄緑色に発光させていて、子供ながらに「こいつ、根性あるな」と感心したものだった。
手を放すと光りながら仲間のもとに飛び去っていった。

それから、いつのまにか蛍などしばらく忘れて大人になった。

そして10数年前の夏の夕刻、マンハッタンのハドソン川に沿ったリバーサイドパークで沈む夕日を見がてら散歩していたとき、川べりの茂みでいく筋もの黄緑の光の帯を見かけた。
一瞬光っては消えるか弱いものだったが、それはだった。
まさかニューヨークのど真ん中で蛍と再会するとは思わなかった。

ハドソン川から利根川へ一気にタイムスリップした感覚だった。

その頃流行った映画「You've Got Mail」のラストシーンでメグライアン扮するキャスリーンがメール交換していた相手とようやく会って、
I wanted it to be you. I wanted it to be you so badly.
「あなたでよかった。ずっとそう願ってた。」
と言って彼の小さな罪を許し、重荷から解き放たれたように涙を流すシーンが印象的だったあの公園だ。

僕はその頃好きだった子とちょうど「You've Got Mail」と同じようにメールで仲良くなっていたから、妙に映画とダブっていた。
帰国後、彼女に蛍のことを話したら、
「ニューヨークに蛍がいるワケないやん!寝ぼけてたんちゃうん?(笑)」←関西人だった。
と相手にしてくれなかったが,,,

世界の高いところから-RiversidePark


ユナイテッド航空(UA)のマイレージプラス会員になって21年。
大学時代に初めての海外でNYに一人で行ったときに加入した。

子供の頃、父親が海外出張でいろんな航空会社の機内アメニティーをくれた。
PAN AMを利用することが多く、家族で空港まで送迎に行き飛行機が見えるレストランで食事すると、僕はパンナム機の姿を見つけては「パンナム、パンナム!」とはしゃいでいたそうだ。
中学3年でNYに憧れるようになってからも、「NYに行くときは絶対パンナム」と思っていた。

ところが、アメリカの航空自由化策でそれまで国内線だけを運航していたユナイテッド、アメリカン、デルタが国際線を運航するようになってから、国際線を中心に運航していたパンナムやトランスワールドはあっという間に業績が悪化した。
そして、僕が高校の頃パンナムは太平洋路線をUAに売却して日本から撤退したのだった。
パンナムの成田発最終便をニュースで見てなんか寂しさを感じた。

僕がずっと利用しようと思っていたNY行きPA800便(パンアメリカン航空800便)は、UAになってからも便名そのままのUA800便に受け継がれた。
そして、当時日米間を結んでいたUA、NW、JALを比較してUAを利用することに決めた。決め手はマイレージサービスだった。
92年の秋、大学4年で初めてNYに行ったとき僕は事前にUAマイレージプラス会員になり当然のごとくUA800便を利用した。

それから北米に行っては貯まったマイルでアジアにタダで行くというパターンを繰り返していた。
当時のUAのビジネスクラス「コノシュア(CONNOISSEUR)クラス」も何度か特典利用したり、インボラでアップしてもらったりした。
97年にUAやLHなど5社で発足したスターアライアンスによりますますマイレージの利便性が高まった。
ANAがスターアライアンスに加盟してからは出張等でANAを利用する際にもUAにマイル加算したりしていた。

UAのアジア地区の元パンナム社員のスキルは高く好感が持てた。
特典予約を電話でしていた頃、弾丸スケジュールで手配をお願いするときなど、
「ははは、○○さん!それはハードですね(笑)」とかねぎらってくれたりして人間味があった。

2002年に同時多発テロの影響でUAは経営破たんしたが、それでも変わらず利用し続けた。
ただ、経営再建の過程でハブ&スポークを強化するにあたり、UA800便が廃止されたとき一抹の寂しさを感じた...
画像は、テロからまだ2、3年しかたっていないにもかかわらずコックピットを案内してくれた機長。
僕を操縦席に座らせてくれてコックピットだけでなく背後にある仮眠室も案内してくれた。747ジャンボの操縦桿を持ったときはさすがに興奮した(笑)


世界の高いところから-台北桃園機場にて
2010年にユナイテッドはコンチネンタルと経営統合して世界最大の航空会社に返り咲いた。
でも、名前こそUNITEDのままだが実質コンチ色になってしまった。
僕は今でもどことなく違和感を引きずっているが、常に20万マイル以上を確保して「特典利用」をし続けている。
まだ見ぬ伴侶(?)との旅のために一定のマイルを保持していることを友人は、「どうせムダなんやけん、俺との旅に使えばよかろーもん!」とバカにするけど(笑)

なんだかんだ言って、今でも世界各地の空港でUAの翼を見るとなんかホッとする。
付き合いの長い友人みたいなものなのかな(笑)

毎年7月23日、熊本の本妙寺で「頓写会」という祭りがある。

本妙寺は熊本市街を見下ろせる小高い丘の上にあり、夜景がキレイなことで有名だ。


某建材メーカーの熊本支店にいた若かりし頃、ある取引先に「いいな」と想う女子社員がいた。

彼女は典型的なツンデレだったが、明るくサバサバした性格で大きな取引先にも関わらずお互いタメ口で話していた。


ある年の頓写の日の昼ごろ、「仕事の話じゃないんだけど...」と彼女から電話がかかってきた。

なんと、一緒に頓写に行こう」というお誘いだった。

「まさか!」と信じられない気持ちで思わず舞い上がってしまった。


会社を16時半にばっくれて、なぜかライバルのM電工の女子達も一緒ということでM電工のショールームで待合わせした。

日が暮れてM電工のショールームで彼女達と合流し、浴衣女子達と一緒に本妙寺の参道を歩き始めた。

本妙寺は山の尾根に沿って階段や坂道をひたすら登っていったところに本殿があり、そこから眺める熊本市街の夜景はとてもキレイだ。


長身でスリムで色白な彼女は赤い浴衣を着ていて、灯篭の明かりに照らされてとっても艶やかだった。

参道の坂道に沿って並ぶ出店を眺めつつ彼女と並んで歩きながら話していると、

「今日○○さんを誘ったのはね、△△さんを紹介するためだったの。」

と後ろの方を歩いている青い浴衣を着たM電工の子を指した。


「・・・」

ちょっとプチ失恋した気分だった・・・


やがて、階段の途中の自販機で彼女は当時売れていたウーロン茶「煌(ファン)」を買って飲み始めた。

上を向いて飲んでるポニーテールの彼女の、ちょっと汗ばんだ首筋がとてもきれいで見とれていると、「はい」と表情を変えずに缶を僕に突き出した。

ドキッとしたが、悟られないようにクールに「ああ、ありがと。」と言って受け取って何口か飲んでから彼女に返すと彼女はすぐまたそれを口にした。

なぜか妙にドキドキした反面、複雑な心境だった。


彼女が紹介してくれた△△さんとはその後1回ドライブしたが自然消滅した。

それよりも、頓写での彼女の姿が目に焼き付いて熊本でのいい思い出としていつもその頃になると思い出す。


世界の高いところから-頓写