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世界の高いところから

ペーパー一級建築士によるSkyscraperガイドと怪しい旅の話

04年1月末に、会社の勤続10年のリフレッシュ休暇を利用してパリに行った。
前の年まで同じ職場にいた女子が会社を辞めてパリに移住していたので、コルビジェの「サヴォア邸」に付き合ってもらった。
サヴォア邸はパリの郊外のPoissyにあり建築学科出の者なら誰もが知っている有名な建築だ。
かつて建築オタクの友達と一緒に行ったことがあったがそのときはよりによって休館日だった,,,

昼前にポンピドゥセンターで彼女と待合わせしてPoissyに向かった。
今度はさすがに開館日をチェックしていたので大丈夫(笑)
サヴォア邸はPoissyの閑静な住宅街の丘の上にあり、快晴の空に真っ白でシンプルな壁がよりいっそう引きたって見えた。
世界の高いところから
彼女もアートに興味があったので、サヴォア邸のインテリアやバスルームのタイル壁の造形に妙に感心していた。
世界の高いところから
内部はガラスを多用し、室内と外部との境界を視覚的に消すことで、あたかも室内にいながら外にいる開放感を感じながら過ごせる。
世界の高いところから
冬のパリは日の出が遅く、日没が早い。
Poissyからパリに戻る頃にはもう薄暗くなっていた。
彼女の提案でサンジェルマン・デ・プレのサロン・ド・テでのんびりお茶してメトロで帰った。

彼女が当時25で会社を辞めてパリに行くと聞いたときは、彼女の度胸に感心したのと同時にその行動力が羨ましかった。
もともとフランス文学を専攻していたようでフランス語はある程度できたとはいえ、まだ在パリ1年も満たないにもかかわらず流暢なフランス語を話していた。
彼女はアパートの屋根裏部屋みたいな劣悪な環境で生活していながら、女中部屋」と言ってポジティブに楽しんでいるようだった。

僕も30手前で会社辞めてワーホリしたいと真剣に考え、カナダやイギリス、オーストラリア等のワーホリ実施国の大使館を廻って資料を集めたことがあったが、結局実現しなかった。
そういう点では女子の方が思い切った行動ができるんだと思う。
男ももっとロマンを持たなきゃと思うが、男はやっぱり現実的すぎるのかな(笑)





東日本大震災の9日後の3月20日 、なにげなく見上げた満月が「ん?なんか普段よりも大きいな」と感じた。
なんだか震災でどことなく荒んでいたココロが癒されていく感じがした。世界の高いところから-月2
翌日なにげなくYahoo!ニュースを見たら、なんと18年ぶりの「エクストリーム・スーパームーン」だったという。
よく気付いたもんだなと我ながら感心した(笑)

地球と月との距離は、月が楕円軌道をしているため、近づいたり遠ざかったりするが、近づいたときの満月は通常より大きく見える。
これを「スーパームーン」と呼ぶが、太陽と地球と月が一直線に並ぶときに満月になる状態がスーパームーンの中でも特に月が大きく見える、「エクストリーム・スーパームーン」と呼ばれ、18年に1回ほどの周期で訪れるそうだ。
このときは普段見える月より14%も大きく、30%も明るいとのこと。

世界の高いところから-月1
このエクストリーム・スーパームーンのときの月までの距離は356,577km
もし、月まで高速道路が開通し車で行くことができるとすれば、時速120kmで走って125日で行ける計算になる
ちなみに、普段の月までの距離が384,400kmだから同じく車で行ったら133日かかるから、エクストリーム・スーパームーンのときは普段よりも8日早く月に着く計算だ(笑)

気が遠くなるような天文学的な単位の他の天体と比べて月は意外と近い。
東京→NYを17往復すれば到着してしまうのだから。


でも、やっぱり月は遠くから眺めるからキレイなんだろうな。
世界の高いところから-月3






東日本大震災から2年が過ぎた。
あの日、僕はいつも通り金曜の午後ということで週末にむけてココロが緩んできて流しモードに入りつつあるときだった。
3階のオフィスにはいつものように内勤組が同じように流しモードに入りつつあった。

普通の週末の午後だった。

突然、いつもと違う大きめの地響きが足元を揺るがした。長い!みんな「お、これは大きい!」と勘付いたのか一瞬固まったように見えた。
そしてユサユサと大きな横揺れが始まった!
窓の外の電柱と窓枠がすれ違ってる。明らかに建て物がしなりながら揺れている。
「ついに来たのか...」
一瞬、東海地震がとうとう来たのかとも思った。
オフィスは自社ビルで81年の耐震基準改正前の古いビルだ。
少し前のニュージーランドでのビル崩壊の惨事が頭をよぎったのか、4階の社員が蒼ざめた顔で下に降りていく。
まだ揺れている。
いつもの地震と違い、みんなの表情から余裕がすっかり消えていた。
3階のメンバーの一人は阪神経験者だ。僕は窓の外に見えるボロい民家がまだ倒れてないことと、阪神経験者である彼の表情を見て「大丈夫」と判断した。
戸棚や本棚が倒れそうになるのをみんなで押さえた。
「そんなことより、外に出た方がいいんじゃないの?」
ペーパー一級建築士の自分に皆が一瞬判断を求めた。
僕にとっても初めての大きさの揺れだが、直感的に「大丈夫ですよ!」と答えた。
僕がそんなことを判断していいものかと一瞬ヤバいかなと思った。
机の上の書類の山が崩れ、コピー機が横に動いた。
やがて揺れのピークが過ぎたが、まだ窓から見える景色が左右に動いている。
我に返ると床には書類が散乱していた。

地震慣れ(?)している我々は、揺れ方から震源はかなり遠くだと分かった。
震源はどこだろう?ここでこんなに大きいのだから震源に近い所はいったいどうなってるんだろう?
皆、散乱した書類の片付けも忘れて一斉にPCでカチカチやり始めた。
なかなか情報が出ない。
やがて震源は三陸沖と発表された。気象庁は暫定M8.7、アメリカ地質調査所発表はM8.9。
そんな地震が生きているうちに国内で発生するなんて思いもよらなかった。(その後、M9.0に訂正)
東北の方はいったいどうなっているんだろう?

茨城の実家に電話してみたがやはり繋がらなかった。
しかし意外にも5回目で繋がった。
いきなり、「大丈夫?」と母。
「こっちより、そっちでしょう?」
「停電してるけど大丈夫よ。」
父など「生きているうちにこんな経験できるとは思わなかった。」と興奮していた。
実家のあたりの震度は6弱だった。
その後、大阪本社や東北支店への電話も全く繋がらない状態は続いた。

テレビをつけると、東北の海岸に津波が押し寄せている様子が中継されていた。
津波というより、海が溢れているという感じだ。
家も車も畑も飲み込んでいく。
まるで溶岩流みたいに全てを粉砕して黒い悪魔のように一定の速度で冷酷に流れていく。
まさかと思った。あまりに非現実的な映像だった。

東京23区の震度は5強~5弱。
首都圏の電車はすべて停止。会社からは帰れる人は帰って帰れない人は事務所に宿泊せよとの携帯メールが流れた。
金曜だし、僕は歩く覚悟を決めた。来たるべき地震への訓練と思った。
家までの距離は27km。神田まで帰る同僚と同じ方向なので一緒に歩いて帰ることにした。

会社のある荻窪から五日市街道を歩き始めたが、僕らは帰宅する人の波に完全に逆行していた。
すれ違う人たちは、ヘルメットかぶって作業着の万全装備のおっさんや、ヒールで普通に歩くOL、防空ずきんかぶったおばさん...
格好を別にすれば、花火大会の会場付近のような混雑が延々と続いた。
ようやく新宿にたどり着き地下街に入ると、徹夜覚悟の人々がそこらじゅうに座り込んでいた。
タダごとではない異様な雰囲気だった。
歩いて帰ろうと思えば帰れる僕らはまだマシなんだなと思った。

新宿からは靖国通りを歩いた。
一人で歩くのと違い、普段あまり話す機会のない同僚と二人で歩いているうちにいろいろ話すことができた。
やがて神田に着いて彼と別れた。荻窪から神田まで4時間近くかかった。
隅田川を渡るとき、躯体が完成したばかりのスカイツリーの姿が見えた。ツリーは無事みたいだ。なんかホッとした。
そのあと、たまたまちょうど動き始めた都営地下鉄に菊川駅から乗ることができた。結局19km歩いた

翌日以降、被害の全貌がだんだん明らかになっていき首都圏では鉄道の間引き運行や計画停電が始まった。
コンビニやスーパーから日用品が消えた。
ガソリンスタンドに給油する車の列ができた。

被災地では、当たり前の日常が一瞬で失われた。
普段当たり前と思っている事のありがたさは、失われて初めて身にしみるものなのかもしれない。
あれから2年。
人は3年で忘れるというが、忘れてしまうのが人間なのかもしれない。
震災の年の10月に気仙沼や石巻の惨状を見てきた僕ですらすでに遠い過去に思えている。
この教訓を生かさないと。
来たるべき首都圏直下型地震に備えて,,,