12年前、僕が鹿児島から福岡に転勤になってまもなくの盛夏、仕事で壱岐に初めて行った。
壱岐は玄界灘に浮かぶ10km四方ほどのなだらかな島で、福岡から高速船で1時間で渡ることができる。
イカ釣り漁船の港があり、漁火が島を取り囲んで幻想的なのだが、当時その島は社内では「鬼ヶ島」と呼ばれていた。
その島には社内で恐れられている販売店があり、そこの社長がとにかく理不尽に怒鳴り散らすことで有名だったのだ。
よりによって、そこで我々の事業部で拡販している住宅の新工法のモデル棟を建てるということで、営業担当と一緒に島に出向いて施工指導をしなければならなかった。
施工指導は2日かかるので島で1泊しなければならない。
日程が決まってから、その日が近づくにつれて憂鬱になっていった。部署の同僚達がさんざんその社長の恐ろしさを大げさに吹聴するもんだからなおさらだった。
「なんでそんな島にそんな客作るんだよ...」
そしてついに鬼退治の朝がきた。
世間は夏休み。しかも夏らしい暑さでいい天気。こんな日の現場は暑くてタイヘンなのだが、それ以上に鬼の存在が憂鬱だ。
高速船が出発する博多埠頭は島に遊びに行くと思わしきグループばかり。
ベイサイドプレイスの大水槽では魚たちが気持ちよさそうに泳いでいた。
「この魚に替わりたい...」とふと思った。
担当営業と合流して真っ赤な高速船「ビーナス」に乗り込んだ。スーツ姿なのは僕らだけだった。
博多港を出港して、防波堤を越えるとやがて浮上航行に移り船は加速し始めた。
左手後方に百道の高層ビル群や福岡ドーム、福岡タワーがはるか彼方に遠ざかっていく。
もう戻れない。
能古島と志賀島の間を通過し、船は玄界灘の大海原に出た。
隣の同僚は普段になく無口で、半分寝ているようだった。
晴天の夏の朝、船で島へ行くとなれば旅気分でワクワクしながら到着を楽しみにするはずなのだが、鬼の棲む島に辿り着きたくない気持ちでいっぱいだった。
やがて、右手に岩山だけの小さな島が見えた。周囲は断崖絶壁で頂上に灯台がぽつんと建っていた。
「あそこで降ろしてくれ!!」
などとワケの分からないことを心の中で叫んでいた。
そしてついに右手前方に緩やかな丘陵地が広がる大きな島が見えた。
「あれが壱岐たい。」
同僚がムクっと起きて呟いた。
「やっぱり。」
僕は唾を飲み込んだ。
島での仕事は明日の夕方の帰りの船まで間違いなく拘束される。覚悟を決めなければならない。
やがて船は大きく右にカーブし、郷之浦港に着岸した。
僕は覚悟を決めて壱岐の地に第一歩を踏み入れた。暑い。でも心はどこかヒンヤリしていた。
真夏の空の下、船着き場の出迎えの人たちをかきわけタクシー乗り場へ。
タクシーに乗ると同僚がひとこと「○○サッシ。」とだけつぶやくとタクシーは走りだした。
やがて丘の上のサーカス小屋かなんかのようなバラックが並んだ一角でタクシーは停車した。
車を降りると確かにそこは販売店だった。
ずんずん先に進む同僚に恐る恐るついていくと、プレハブ小屋の事務所が現れた。
そして、さらに挨拶もせず平気で入口を開けて中に入っていく同僚。中からは物腰柔かそうな女性が出てきた。
「まさか、社長の奥さん??」
事務所の隣の和室で普通にスーツから作業着に着替える同僚。僕もなんか不可解なまま一緒に着替えた。
「社長は...?」
やがて現場に行く準備が整った頃、事務所の隣の作業場の奥から、今起きたばかりのようなボサボサの髪をしたジャージ上下の小太りの少し禿げかかったオッサンがいかにも不機嫌そうに姿を現した。
同僚が軽く僕を紹介すると、
「手抜き工事せんごつ、よう見張っとれ!!」
ろくに目も合わさず吐き捨てるようにひとこと言い残して社長は事務所に消えて行った。
ちゃんとあいさつする間もなかったが、僕はひとこと「はい!!」とデカい声で返事してちょっと気がラクになった。
それから現場でも宴会でも確かに社長は縦横無尽に振る舞っていたが皆がさんざん脅していたほど酷くはなかった。
名物のウニが欲しいと同僚に伝えると、同僚がそのまま社長に言うもんだから「新任の奴がウニなんて贅沢や!」と怒鳴られ一番安い魚だけ食べさせられたorz
----------------------------
始まりはこんな感じだったが、それから何度か訪問しているうちにそんな社長にツッコミを入れられるようにまでなった。
どうやら、そのときは同僚達が僕を必要以上に脅して楽しんでいたフシもある(笑)
いじられキャラだったからな...
今では、同僚といつかまた壱岐に社長を訪ねたいねと話している。人は見た目や評判によらないもんだなとつくづく思う。