2024/7/3 遠い太鼓③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「スペッツェス島に到着する」を、番組用に編集してお届けしています。


今夜は、その第3夜。


ギリシャ・スペッツェス島。


作家・村上春樹は、小説を書くために、この島にあるサマーハウスを借りる事にしていた。


そして、いよいよ島に到着。


その家に、向かう事になった。


波止場の広場にはカフェが並び、地元のギリシャ人が、のんびりとビールを飲んでいる。


果たして、作家は借りた家まで、辿り着けるのか?


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船の上から、ゾルバ系おじさんが、波止場にいる別のゾルバ系おじさんに向かって、びっくりするような大声で、怒鳴りつけている。


「おい、コスタ!


元気か!」


客引きもいる。


あまり客引きには見えない、ちょっとインテリ風の客引きである。


ほっそりとした、ウディ・アレンみたいな感じの中年男で、ラコステのポロシャツを着て、ヤッピー風の黒縁メガネをかけている。


でも、シャツもメガネもご本人も、いささかくたびれている。


彼は、旅行者と思しき外国人を、片端から捕まえて、


「あんた、今日泊まる所は決まってるの?」


と、英語やらドイツ語やらで、聞いている。


バレンティナの言った通り、ちゃんと馬車は存在した。


港の広場には、馬車が全部で6台並んで、御者たちが、


「ハロー!イエス!プリーズ!」


と、人々に呼びかけている。



[馬車]


広場の周りには、カフェがずらりと並んでいて、人々はビールを飲んだり、新聞を広げたりしながら、船から降りてくる客を、眺めている。


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多分、どこかのペンションの親父なのだろう。


客引きの、ラコステ男が僕のところにやってきて、


「あんた、今日泊まる所、決まってるの?」


と聞く。


「決まってるよ」


と、僕は言う。


「どこのホテルよ?」


と彼は聞く。


「ホテルじゃないんだ」


と、僕は言う。


「クヌピツァの、ダムディロプロスの家に泊まる事になってるんだ」


クヌピツァのダムディロプロスの家ねぇ」


と彼は言って、首をひねる。


「あんた、その家の場所を知ってるの?」


「知らない」


バレンティナは、この家の住所を、教えてはくれなかったのだ。


なぜなら、この島には住所というものが、存在しないからである。


「行けば、分かる」


と、彼女は言った。


「じゃあ、誰かにその場所を聞いてあげよう」


と、ラコステ男は言う。


なかなか親切な人である。


「おい、おーい、イヤニ!


クヌピツァのダムディロプロスの家って、どこか知ってるか?」


イヤニという名で呼ばれた、ハンチングを被ったゾルバがやってくる。


ギリシャ人の男の名前のおよそ半分は、コスタかイヤニかイオルゴスの、どれかである。


そして彼もまた、首をひねる。


クヌピツァのダムディロプロスの家ねぇ。


儂も知らんなあ、それ」


と、申し訳なさそうに、彼は言う。


【画像出典】