JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹の紀行エッセイ『遠い太鼓』の中から、「スペッツェス島に到着する」を、番組用に編集してお届けしています。
今夜は、その第2夜。
アテネで、バレンティナという賑やかな女性から、サマーハウスを紹介され、エーゲ海に浮かぶスペッツェス島へ。
観光客と共に高速船を降りると、島のギリシャ人たちが待ち受けている。
ギリシャを舞台にした映画『その男ゾルバ』を愛する村上春樹は、賑やかな港の風景をスケッチのように、軽やかに楽しく描いている。
旅は、まだ始まったばかりである。
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水中翼船のエンジンが止まると、船の舳先が水を切っていく、サーッという音が聞こえるのみである。
バレンティナ風に言うと、ビューーーーーティフルな眺めである。
スペッツェス島では、結構沢山の人が下船する。
大きなバックパックを担いだ、外国人観光客の姿も、ちらほらと見受けられるが、もうシーズンもほとんど終わっているから、その数はそれほど多くない。
乗客の大半は、ギリシャ人である。
そして、そのギリシャ人たちは、大まかに言って、2つのカテゴリーに分類される。
どこかからやってきたギリシャ人と、どこかから帰ってきたギリシャ人である。
1つ目の人々は、大体身なりが良くて、カップルか、あるいは家族連れである。
多分、週末をサマーハウスで過ごすために、やってきたのだろう。
そういう人たちは、みんな何かの本を、手にしている。
僕の前の席に座った奥さんは、しつけのいい小型犬を連れて、ギリシャ語訳のアーサー・ヘイリー著『ホテル』を、読んでいた。
隣の席の、ミニスカートを履いたキュートな女の子は、船内で給仕が運んできてくれる、ホットミルクを飲みながら、ギリシャ版『エル』みたいな、ファッション誌を読んでいた。
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そういう人たちの周りには、アッパーミドルの、都会人特有の落ち着いた雰囲気が、漂っている。
何泊かするための簡単なバッグと、サングラスと、金のブレスレット。
ベネトンのセーターと、ソニー・ウォークマン。
それに比べると、2つ目のカテゴリーの人々は、みんなすごくシンプルで、元気そのものという感じである。
『その男ゾルバ』みたいなおっさんやら、血色のいいお母さんやらが、ピレエフスの街か、アテネで買い込んできたらしい荷物を、どっさりと抱えて、ドタバタと波止場に降りてくる。
[『その男ゾルバ』]
彼らは、正真正銘の庶民である。
僕は彼らの事を、「ゾルバ系ギリシャ人」と呼ぶ。
それから、黒いだらんとしたラーソという服に身を包んで、長い髭を生やした、いかにも謹厳そうな僧侶の姿も見える。
この坊さんもまた、一体何を買い込んできたのか、両手にダンボール箱を、下げている。
すごく重そうな段ボール箱である。
40くらいのおばさんが、船の降り口で、迎えに来た多分息子であろう小さな男の子を、ひしと抱きしめてキスしている。
おかげで、後の乗客が、船を降りられないでいる。
さすがに船の乗務員が、
「奥さん。
邪魔になるから、そこをどいてくださいよ!」
と、大声を出している。
【画像出典】