JET STREAM Skyway Chronicle
今週は、国際線就航70年を記念したスペシャルフライト。
ジェット時代の幕開けと海外渡航自由化により、北回りロンドン線が開設された、1965年ロンドンへの旅。
作家・バリー・マイルズによる回顧録『ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』から、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第2夜。
ポール・マッカートニーに、アートや音楽と多大な影響を与えた、ロンドン・カウンターカルチャーの立役者、ジョン・ダンバー。
1960年代、彼と後に歌手・女優として活躍する、マリアンヌ・フェイスフルが暮らす、レノックス・ガーデンズのアパートは、ポールにとってロンドンのオルタナティブ世界への、入り口だった。
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レノックス・ガーデンズ29番地のアパートは、寝場所を求める、ジョン・ダンバーの学生仲間の溜まり場となり、2つの全く違う世界が出会う場所となった。
ナイツ・ブリッジの優雅なポップスター、アレンジャー、プロデューサー、出版社などの、音楽業界のサークル。
そしてビート族、アーティストといった、カウンターカルチャーを担う、ジョン・ダンバーとその仲間の一団が、ここで出会った。
居間では、常に誰かが芸術雑誌を読んでいたり、巨大なスピーカーからはブルース、ジャズ、インド音楽などが流れていた。
リバプール郊外のジム・マッカートニー家で育ったポールは、恋人のジェーン・アッシャーの家で、新しいライフスタイルを経験した。
そして1965年、ポールはダンバー家で、新たにオルタナティブなライフスタイルを、提示された。
ポールはこの家で、多くの時間を過ごす事になった。
ジョン・ダンバーは言う。
「いつもみんなで、音楽について語り合って、演奏したり、録音もした。
ジミー・リード、マディ・ウォーターズといった、古いブルースばかりね。
ほとんどは、当時既にこの世を去っていた人たちの音楽だったね。
ブルース通のジョン・メイウォールが、よく顔を出していたんだ。
ショーン・フィリップス、ドノバン、当時マーク・フェルドと呼ばれていた、マーク・ボランなど、みんながやってきたよ」
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ポールも音楽を持って、レノックス・ガーデンズを訪れる事が、よくあった。
ポールが振り返る。
「アッシャー家で、テープを用意した。
テープレコーダーを2つ手に入れたんで、午後の暇な時に実験していたんだよ。
午後は暇な事が多くてね。
夜は、みんなでラジオ番組みたいなものを作って遊んでいたから、午後は家で一人で準備をする時間があった。
別に、日課のように勤しんだ訳じゃないけど、朝の3時まで起きてて、翌日の2時まで寝てる、なんて事がしょっちゅうだったから。
午後は何をしてもいい自由な時間帯だった。
何かを形作る時間でありながら、形の無い自由な時間。
だから、一日中テープ作りもできた訳だ。
アンフォゲッタブルというテープを、作ったよ。
イントロが、ナット・キング・コールの『アンフォゲッタブル』の『It’s what you are』で始まって、その後『こんにちは』と、ラジオ番組のような事を始めるんだ。
[ナット・キング・コール]
単に、他の連中に聴かせる目的で作るテープなんだ。
夜、誰かの家に行く時に、面白い音楽テープを持っていけば、楽しいパーティーになるからさ。
ラヴィ・シャンカールでも、ベートーヴェンでも、アルバート・アイラーでもいいんだよ」
1995年に、ポールはこのアイデアを、アメリカのウエストウッド・ワンのラジオ番組にも、使っている。
1965年に、ポールはテープを逆回しにする実験にも挑戦し、すぐにビートルズの曲に取り入れた。
【画像出典】

