2024/6/25 ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM Skyway Chronicle


今週は、国際線就航70年を記念したスペシャルフライト。


ジェット時代の幕開けと海外渡航自由化により、北回りロンドン線が開設された、1965年ロンドンへの旅。


作家・バリー・マイルズによる回顧録『ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』から、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第2夜。


ポール・マッカートニーに、アートや音楽と多大な影響を与えた、ロンドン・カウンターカルチャーの立役者、ジョン・ダンバー。


1960年代、彼と後に歌手・女優として活躍する、マリアンヌ・フェイスフルが暮らす、レノックス・ガーデンズのアパートは、ポールにとってロンドンのオルタナティブ世界への、入り口だった。


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レノックス・ガーデンズ29番地のアパートは、寝場所を求める、ジョン・ダンバーの学生仲間の溜まり場となり、2つの全く違う世界が出会う場所となった。


ナイツ・ブリッジの優雅なポップスター、アレンジャー、プロデューサー、出版社などの、音楽業界のサークル。


そしてビート族、アーティストといった、カウンターカルチャーを担う、ジョン・ダンバーとその仲間の一団が、ここで出会った。


居間では、常に誰かが芸術雑誌を読んでいたり、巨大なスピーカーからはブルース、ジャズ、インド音楽などが流れていた。


リバプール郊外のジム・マッカートニー家で育ったポールは、恋人のジェーン・アッシャーの家で、新しいライフスタイルを経験した。


そして1965年、ポールはダンバー家で、新たにオルタナティブなライフスタイルを、提示された。


ポールはこの家で、多くの時間を過ごす事になった。


ジョン・ダンバーは言う。


「いつもみんなで、音楽について語り合って、演奏したり、録音もした。


ジミー・リード、マディ・ウォーターズといった、古いブルースばかりね。


ほとんどは、当時既にこの世を去っていた人たちの音楽だったね。


ブルース通のジョン・メイウォールが、よく顔を出していたんだ。


ショーン・フィリップス、ドノバン、当時マーク・フェルドと呼ばれていた、マーク・ボランなど、みんながやってきたよ」


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ポールも音楽を持って、レノックス・ガーデンズを訪れる事が、よくあった。


ポールが振り返る。


「アッシャー家で、テープを用意した。


テープレコーダーを2つ手に入れたんで、午後の暇な時に実験していたんだよ。


午後は暇な事が多くてね。


夜は、みんなでラジオ番組みたいなものを作って遊んでいたから、午後は家で一人で準備をする時間があった。


別に、日課のように勤しんだ訳じゃないけど、朝の3時まで起きてて、翌日の2時まで寝てる、なんて事がしょっちゅうだったから。


午後は何をしてもいい自由な時間帯だった。


何かを形作る時間でありながら、形の無い自由な時間。


だから、一日中テープ作りもできた訳だ。


アンフォゲッタブルというテープを、作ったよ。


イントロが、ナット・キング・コールの『アンフォゲッタブル』の『It’s what you are』で始まって、その後『こんにちは』と、ラジオ番組のような事を始めるんだ。



[ナット・キング・コール]


単に、他の連中に聴かせる目的で作るテープなんだ。


夜、誰かの家に行く時に、面白い音楽テープを持っていけば、楽しいパーティーになるからさ。


ラヴィ・シャンカールでも、ベートーヴェンでも、アルバート・アイラーでもいいんだよ」


1995年に、ポールはこのアイデアを、アメリカのウエストウッド・ワンのラジオ番組にも、使っている。


1965年に、ポールはテープを逆回しにする実験にも挑戦し、すぐにビートルズの曲に取り入れた。


【画像出典】