2024/6/26 ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM Skyway Chronicle


今週は、国際線就航70年を記念したスペシャルフライト。


ジェット時代の幕開けと海外渡航自由化により、北回りロンドン線が開設された、1965年ロンドンへの旅。


作家・バリー・マイルズによる回顧録『ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ』から、一部編集してお送りしています。


今夜はその第3夜。


1960年代中旬、ポール・マッカートニーが、刺激的なロンドンのカルチャーシーンと出会い、吸収していく時代の記憶。


ポール・マッカートニーに、現代アートや音楽、文学と、多大な影響を与えたジョン・ダンバーと、歌手マリアンヌ・フェイスフルが暮らす、レノックス・ガーデンズのアパート。


様々な文化人が集うこの場所は、ポールの感性を目覚めさせ、新たなサウンドやカルチャーを、生み出していった。


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時には、レノックス・ガーデンズに集まった連中に、音楽の創作意欲が湧く事もあった。


ほとんどのメンバーは、音楽の才能が無かったので、楽器はパーカッションに限定され、マリアンヌの鍋も台所から持ち出されて、ボンゴとして使われた。


唯一まともに演奏されるギターや、正確に刻まれるリズムに合わせて、部屋中に不協和音が鳴り響く事になった。


ワイングラスの演奏も、恒例の行事だった。


ワイングラスの縁を濡らして、ゆっくりこすると、澄んだベルのような音がする。


グラスの水量を変えれば、音階が出来るので、5〜6人がストーン状態で、床に座ったまま、同時演奏をした。


ポールは、常にサウンドを作る新しい方法や技術に目を向け、特に従来に無いサウンド源を用いる事に、興味を示した。


ポールは言う。


「長い間、興味を覚えていた事に取り組む時間が、やっと出来た。


10代半ばから、アーティストの実験的活動や、探究的なカルチャーについての本を読んで、興味を持っていたんだ。


マダム・プラワツキーとか、シュールレアリズムの創始者となる、アンドレ・ブルトンとか。


その系統の本を読んで、こんなボヘミアンな芸術的な事も可能なんだと、僕の感性が目覚めたんだ。


この方面の研究には、時間を費やしたよ。


ビートルズの音楽をやりながら、こういった方面も追求するのは、バランス的にも良かったし、これがビートルズ作品に応用できたのも、良かったし」


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8月のある晩。


レノックス・ガーデンズを訪れたポールに、マリアンヌは、『イエスタデイ』をレコーディングする計画があると、打ち明けた。


この曲をどう扱うべきか。


二人は長い事話し合った。


8月6日に、アルバム『ヘルプ!』がリリースされてから、既に何人かが、『イエスタデイ』のカバー制作に入っていたので、とにかくマット・モンローより、早くこの曲をリリースするようにと、ポールは助言した。


ポールは、マリアンヌの『イエスタデイ』をヒットさせたかった。


彼女は友人であったし、以前に彼女に曲を提供すると約束をした記憶が、あったからだ。



[マリアンヌ・フェイスフル]


マリアンヌの『イエスタデイ』が、1965年10月22日にリリースされると、ポールはできる限り曲の宣伝に協力した。


グラナダ・テレビは多額の予算をかけて、『レノン・マッカートニーの音楽』という、特別番組を企画した。


ビートルズ作品を歌った有名スターが、ビートルズの紹介によって登場し、ビートルズも『デイ・トリッパー』と『恋を抱きしめよう』を、リップシンクで歌うという内容だった。


マリアンヌは振り返る。


「ポールは、私をグラナダの番組に出演させてくれたの。


彼が曲の出だしを歌ってくれたのは、素晴らしかったわ」


ポールが椅子に座って、ギターをつまびきながら歌い始めた『イエスタデイ』が、30秒後には、合唱団とオーケストラ付きのマリアンヌの『イエスタデイ』に変わっていく、という演出だった。


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