JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、漫画家・文筆家、ヤマザキマリのエッセイ『扉の向う側』を、番組用に編集してお送りしています。
今夜はその第4夜。
「乗り物の中での出会い」の、後半。
ヨーロッパを一人旅していた14歳のヤマザキは、列車の中で、イタリアの老人マルコに声をかけられる。
帰国後、お礼状をきっかけに、マルコとヤマザキの母はペンフレンドになり、高校生のヤマザキはイタリアに呼ばれる。
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イタリアへ到着した私は、とりあえずマルコの暮らす町へ移り、その後地元の画塾に少し通った後、彼の勧めで、フィレンツェの美術学校へ入る事になった。
フィレンツェに移ってからは、電車賃もままならない困窮生活が始まり、マルコともすっかり疎遠になってしまったが、母との交友は、彼が亡くなるまで続いた。
そして、そのだいぶ後になってから、母の紹介で私はマルコの孫と知り合い、結婚する事になった。
私たちは、夫の留学先だったエジプトのカイロで結婚式を挙げ、シリアのダマスカスに移り住み、その後はポルトガルのリスボンに家を買って暮らしていたが、急遽シカゴ大学で博士号を取る事が決まった夫は、私たちをリスボンに残して、単身で渡米する事になった。
彼の母親が、フランスからイタリアへの飛行機移動の最中に、隣に座った米国人の女性と仲良くなり、シカゴで教師をしているこの女性の強い勧めで、夫はいくつかの候補先から、シカゴ大学を選ぶ事になったのである。
こんな事もあった。
フィレンツェでの留学中、日本からイタリアへ戻る飛行機で、隣に座った日本人の夫妻と親しくなり、日本に滞在している間に何度かお会いした事もあったが、貧乏暇なしの慌ただしい生活に振り回されているうちに、いつしか彼らとの連絡も途絶えてしまった。
それから、私は漫画家になり、イタリアで自分の作品が翻訳されたのを機に、ルッカという町で開催された、漫画の祭典に出掛ける事となった。
[ルッカ]
会場で音信不通になっていた夫妻と、20年ぶりに再会したのである。
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この祭典にメインゲストとして呼ばれていたのが、漫画家の谷口ジローさんだったのだが、この夫妻のご主人は私と飛行機で知り合った頃、谷口さんの『「坊ちゃん」の時代』という本の編集者だった。
[谷口ジロー]
二人との再会を機に、私は谷口ジローさんとも親しくなり、日本への帰国時にはご一緒する機会が何度もあった。
日本で、漫画の実写映画化に伴うトラブルに疲れて、漫画を辞めたくなった時も、谷口さんが静かに励ましてくださった事で、私は今でも漫画を描き続ける事ができている。
残念ながら、数年前に谷口さんはお亡くなりになったが、ルッカであのご夫妻と再会する事が無かったら、私が谷口さんとお友達になる事も無かったかもしれない。
その他にも、乗り物で出会った人との忘れ難いエピソードは沢山あるが、今は昔と違って、長距離移動の飛行機にも、各座席に映画を視聴できるスクリーンがつくようになったし、持参の書籍やら電子機器で、いくらでも時間潰しができるから、わざわざ隣や前に座っている人と言葉を交わすなんて事も、ほとんど無くなってしまった。
でも、完全な偶然の中で知り合う他人というのもまた、見知らぬ土地への旅と同じく、自分の人生観や生き方を変えるかもしれない要素を持った、未知の壮大な世界そのものなのだという事を、自分の人生を振り返ると、痛感させられるのである。
【画像出典】