2024/6/13 扉の向う側④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、漫画家・文筆家、ヤマザキマリのエッセイ『扉の向う側』を、番組用に編集してお送りしています。


今夜はその第4夜。


「乗り物の中での出会い」の、後半。


ヨーロッパを一人旅していた14歳のヤマザキは、列車の中で、イタリアの老人マルコに声をかけられる。


帰国後、お礼状をきっかけに、マルコとヤマザキの母はペンフレンドになり、高校生のヤマザキはイタリアに呼ばれる。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


イタリアへ到着した私は、とりあえずマルコの暮らす町へ移り、その後地元の画塾に少し通った後、彼の勧めで、フィレンツェの美術学校へ入る事になった。


フィレンツェに移ってからは、電車賃もままならない困窮生活が始まり、マルコともすっかり疎遠になってしまったが、母との交友は、彼が亡くなるまで続いた。


そして、そのだいぶ後になってから、母の紹介で私はマルコの孫と知り合い、結婚する事になった。


私たちは、夫の留学先だったエジプトのカイロで結婚式を挙げ、シリアのダマスカスに移り住み、その後はポルトガルのリスボンに家を買って暮らしていたが、急遽シカゴ大学で博士号を取る事が決まった夫は、私たちをリスボンに残して、単身で渡米する事になった。


彼の母親が、フランスからイタリアへの飛行機移動の最中に、隣に座った米国人の女性と仲良くなり、シカゴで教師をしているこの女性の強い勧めで、夫はいくつかの候補先から、シカゴ大学を選ぶ事になったのである。


こんな事もあった。


フィレンツェでの留学中、日本からイタリアへ戻る飛行機で、隣に座った日本人の夫妻と親しくなり、日本に滞在している間に何度かお会いした事もあったが、貧乏暇なしの慌ただしい生活に振り回されているうちに、いつしか彼らとの連絡も途絶えてしまった。


それから、私は漫画家になり、イタリアで自分の作品が翻訳されたのを機に、ルッカという町で開催された、漫画の祭典に出掛ける事となった。



[ルッカ]


会場で音信不通になっていた夫妻と、20年ぶりに再会したのである。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


この祭典にメインゲストとして呼ばれていたのが、漫画家の谷口ジローさんだったのだが、この夫妻のご主人は私と飛行機で知り合った頃、谷口さんの『「坊ちゃん」の時代』という本の編集者だった。



[谷口ジロー]


二人との再会を機に、私は谷口ジローさんとも親しくなり、日本への帰国時にはご一緒する機会が何度もあった。


日本で、漫画の実写映画化に伴うトラブルに疲れて、漫画を辞めたくなった時も、谷口さんが静かに励ましてくださった事で、私は今でも漫画を描き続ける事ができている。


残念ながら、数年前に谷口さんはお亡くなりになったが、ルッカであのご夫妻と再会する事が無かったら、私が谷口さんとお友達になる事も無かったかもしれない。


その他にも、乗り物で出会った人との忘れ難いエピソードは沢山あるが、今は昔と違って、長距離移動の飛行機にも、各座席に映画を視聴できるスクリーンがつくようになったし、持参の書籍やら電子機器で、いくらでも時間潰しができるから、わざわざ隣や前に座っている人と言葉を交わすなんて事も、ほとんど無くなってしまった。


でも、完全な偶然の中で知り合う他人というのもまた、見知らぬ土地への旅と同じく、自分の人生観や生き方を変えるかもしれない要素を持った、未知の壮大な世界そのものなのだという事を、自分の人生を振り返ると、痛感させられるのである。


【画像出典】