JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、漫画家・文筆家、ヤマザキマリのエッセイ『扉の向う側』を、番組用に編集してお送りしています。
今夜は、その第3夜。
「乗り物の中での出会い」の、前半。
ヤマザキマリは、なぜイタリアで美術を学ぶ事に、なったのか?
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乗り物の中で、何気なく知り合った人が、自分の人生に思いも寄らない展開をもたらす事が、ある。
私の今までの人生においても、不思議なご縁と言うべき、乗り物の中での出会いが、何度かあった。
何よりまず、今、自分がこうしてイタリアに暮らしているのも、35年前に、ブリュッセルからパリへ向かう列車の中で知り合った、イタリア人の老人がきっかけである。
当時の私は14歳で、1ヶ月をかけてフランスとドイツを、一人旅している最中だった。
各地域に暮らす、母の友人宅を訪ねるのが目的だったので、一人だけになるのは移動の間と、日本へ帰国する前の、3日間のパリ滞在のみである。
とはいえ、旅人が知らない土地で最も緊張するのは、やはり長距離の乗り物を使う時だろう。
北ドイツの町からパリへ向かうのに、ブリュッセルの中央駅で降り立った私の表情には、心細さがあらわになっていたに違いなかった。
[ブリュッセル中央駅]
そのせいなのだろう、乗り込んだ列車の中で、声をかけてきたそのイタリア人の老人は、私の事を完全に、家出娘だと決めつけていた。
ホームで私を見かけてから、誰かに連れ去られやしないかと、ずっと気にかけていたという。
私にしてみれば、その老人こそが怪しい人物だったが、とりあえず彼に自分の旅の意図と、ルーヴル美術館を見てから帰るのだと、たどたどしい英語で告げると、その表情には一気に不満が広がった。
そして強めの口調で、
「西洋美術に興味があるのなら、なぜイタリアへ来なかったのだ!
1ヶ月も期間がありながら」
と言い、
「そもそも、『全ての道はローマに通ず』という言葉を、知らんのか!」
と繋げて、大袈裟なため息をついてみせた。
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その数日後、無事に帰国を果たした私は、
「日本に着いたという知らせを、お前の母親から送ってもらいたい」
という老人のリクエスト通り、母から彼宛てに、
「ご心配をおかけしました」
という旨の簡単な英文の手紙を、送ってもらった。
間もなくして、老人からも返信が届いたが、なぜかその手紙のやり取りを機に、母と彼はペンフレンドになっていた。
マルコというその老人は、北イタリアで陶芸工場を営み、自身も陶芸家である、という事が分かった。
おまけにバイオリンも嗜み、戦争中インドで捕虜になっていた時は、仲間を集めてオーケストラを編成していた過去などが、手紙に長々と綴られていた。
それが、老人と同じく戦争体験者で、音楽という表現を生業としている母の好奇心を、くすぐったらしい。
高校生になって間もなく、進路の先生に、
「絵は趣味にするべきだ」
と強く説得されるようになった頃、母から、
「学校を休んで、一度イタリアへ行ってみたらどうか」
と促され、私はなんとなくその言葉に乗って、イタリアへ向かった。
私に学校を辞めて、イタリアへ留学するよう提言したのは、マルコだった。
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