2024/6/12 扉の向う側③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、漫画家・文筆家、ヤマザキマリのエッセイ『扉の向う側』を、番組用に編集してお送りしています。


今夜は、その第3夜。


「乗り物の中での出会い」の、前半。


ヤマザキマリは、なぜイタリアで美術を学ぶ事に、なったのか?


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乗り物の中で、何気なく知り合った人が、自分の人生に思いも寄らない展開をもたらす事が、ある。


私の今までの人生においても、不思議なご縁と言うべき、乗り物の中での出会いが、何度かあった。


何よりまず、今、自分がこうしてイタリアに暮らしているのも、35年前に、ブリュッセルからパリへ向かう列車の中で知り合った、イタリア人の老人がきっかけである。


当時の私は14歳で、1ヶ月をかけてフランスとドイツを、一人旅している最中だった。


各地域に暮らす、母の友人宅を訪ねるのが目的だったので、一人だけになるのは移動の間と、日本へ帰国する前の、3日間のパリ滞在のみである。


とはいえ、旅人が知らない土地で最も緊張するのは、やはり長距離の乗り物を使う時だろう。


北ドイツの町からパリへ向かうのに、ブリュッセルの中央駅で降り立った私の表情には、心細さがあらわになっていたに違いなかった。



[ブリュッセル中央駅]


そのせいなのだろう、乗り込んだ列車の中で、声をかけてきたそのイタリア人の老人は、私の事を完全に、家出娘だと決めつけていた。


ホームで私を見かけてから、誰かに連れ去られやしないかと、ずっと気にかけていたという。


私にしてみれば、その老人こそが怪しい人物だったが、とりあえず彼に自分の旅の意図と、ルーヴル美術館を見てから帰るのだと、たどたどしい英語で告げると、その表情には一気に不満が広がった。


そして強めの口調で、


「西洋美術に興味があるのなら、なぜイタリアへ来なかったのだ!


1ヶ月も期間がありながら」


と言い、


「そもそも、『全ての道はローマに通ず』という言葉を、知らんのか!」


と繋げて、大袈裟なため息をついてみせた。


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その数日後、無事に帰国を果たした私は、


「日本に着いたという知らせを、お前の母親から送ってもらいたい」


という老人のリクエスト通り、母から彼宛てに、


「ご心配をおかけしました」


という旨の簡単な英文の手紙を、送ってもらった。


間もなくして、老人からも返信が届いたが、なぜかその手紙のやり取りを機に、母と彼はペンフレンドになっていた。


マルコというその老人は、北イタリアで陶芸工場を営み、自身も陶芸家である、という事が分かった。


おまけにバイオリンも嗜み、戦争中インドで捕虜になっていた時は、仲間を集めてオーケストラを編成していた過去などが、手紙に長々と綴られていた。


それが、老人と同じく戦争体験者で、音楽という表現を生業としている母の好奇心を、くすぐったらしい。


高校生になって間もなく、進路の先生に、


「絵は趣味にするべきだ」


と強く説得されるようになった頃、母から、


「学校を休んで、一度イタリアへ行ってみたらどうか」


と促され、私はなんとなくその言葉に乗って、イタリアへ向かった。


私に学校を辞めて、イタリアへ留学するよう提言したのは、マルコだった。


【画像出典】