2024/6/14 扉の向う側⑤ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、漫画家・文筆家、ヤマザキマリのエッセイ『扉の向う側』を、番組用に編集してお送りしています。


今夜はその最終夜。


「イタリア人のおしゃれ意識」


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今から20年前、フィレンツェでの生活に一旦終止符を打ち、2歳の息子を連れて日本に戻った後、大学でイタリア語を教えたり、テレビで旅のリポーターをしたり。


とにかく、自分にできそうな仕事でさえあれば、何であろうと手がけていた時期がある。


当時、私は友人から譲り受けた、中古のカローラに乗っていたが、ある日移動先へ行くのに、知り合いを途中で拾う事になり、指定されたビルの正面玄関に車を寄せた。


しかし、そこに佇んで通りを眺めている友人は、目の前に停められた私の車を、見ようともしない。


窓を開けて名前を呼ぶと、やっと私に気がついて、助手席に乗り込んできたが、友人曰く、てっきり赤いアルファロメオでも迎えに来るものだと、思い込んでいたという。


[アルファロメオ]


イタリア関係の仕事をしている、イコール赤いアルファロメオ、服はアルマーニ、カバンはグッチ、靴はフェラガモ、というような表層的なイメージは、思っていたよりも根深く、そして幅広く日本で浸透している事に、私は激しく戸惑った。


ファッションだけではない。


イタリアと言えば、さんさんと溢れる太陽の日差しに、明るくて陽気で、人情味溢れる人々。


お昼には、大きなテーブルを家族で囲んで、ワインを飲みながら盛大な昼食を取り、その後は優雅に昼寝。


仕事よりも、家族との時間を優先する、生活大国。


そんな、夢の世界の住民のようなイタリア人は、フィレンツェ時代も、そしてイタリア人の家族を持つ現在も、私の周りには存在しないからだ。


服装だって、皆がファッションに興味がある訳ではない。


男性は、身につけるものは服でも靴でも、大抵は妻が選んだものになっていく。


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とはいえ、イタリア人には根本的に、DNAレベルで、色彩に対する審美眼が備わっているようには、思う。


どんな田舎へ行っても、その辺を歩いていたり、公園にたむろする親父たちは、身につけている物など全く頓着していないようで、何気にいい配色のコーディネートだったりする。


フィレンツェでの学生時代、地元の貴族の血を引く家柄の友人がいた。


しかし彼女も、そして彼女の母親も、見た目は至極シンプルで、ブランド品どころか、イタリアのマダムの象徴とも言える貴金属も、ほとんど身につけていない。


乗っている車も、年季の入ったポンコツのフィアットだったし、身につけている物に至っては、大抵色の褪せたジーンズにシャツ。


ブランド品でも何でもない、シンプルなスニーカーが定番だった。


彼女たち親子は、要するに内側から溢れる、そこはかとない知性と気品だけで、十分に優美だった。


この親子が一度日本へ遊びに来た時、私の母に世話になったお礼として、エミリオ・プッチの、華やかな柄の大判ストールを送った事があった。


[エミリオ・プッチ]


それを見た母が、思わず


「まあ!


こんなに素敵なスカーフ、私みたいな年寄りには勿体無い!」


と感嘆の声を漏らすと、友人の母親は、


「違います。


こういう物は、私たちくらいの年齢になってからが、映えるんです。


勿体無いのは、こういう物を何も分かっていない若い人が持つ事、ですよ」


と言って、微笑んだ。


母はその婦人の言葉にいたく感銘を受け、高齢になってもずっと、そのストールを愛用し続けていた。


私が知っているイタリア人のおしゃれとは、そういうものである。


【画像出典】