2024/5/29 1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。③ | 福山機長の夜間飛行記録

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月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM Skyway Chronicle


今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。


海外渡航自由化、そしてオリンピック聖火の輸送が行われた、1964年東京への旅。


コラムニスト・泉麻人のエッセイ『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』から、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第3夜。


1964年当時、小学2年生だった泉麻人。


彼が保管していた小学校の教科書には、その頃の東京の風景、人々の暮らしが綴られている。


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手元に、「私たちの東京」という、小学校の社会科の副教科書が保存されている。


小学4年生の時に使ったものだから、1966年の班になるが、文章の大方はその2〜3年前の、オリンピックの頃に書かれたものと思われる。


その文は、こんな書き出しで始まる。


「晴れた日に、東京タワーに登ると、東京の様子がよく分かります。


お堀や森に囲まれた皇居の周りには、大きなビルディングが立ち並び、沢山の自動車が行き来しています。


南の海には、汽船の浮かぶ東京港が見え、隅田川が銀色に光って、流れ込んでいます。


また、その海沿いや川沿いには、大小の煙突が立ち並んでいます」


いかにも高度経済成長期の東京を表現する解説だが、目次を眺めると、「低地に住む人たち」「大地に住む人たち」「丘陵や山地に住む人たち」「島に住む人たち」と、往年の小学社会科らしいプリミティブなタッチで、項目立てがされている。


ちなみに、ここで言う島というのは、豊洲や台場のような湾岸埋立地ではなく、大島をはじめとする伊豆七島の事である。


例えば、「低地に住む人たち」の項をめくっていくと、「海沿いの土地の生活」として、品川や羽田に残る海苔漁の話などが、解説されている。


[海苔漁]


浜辺の海苔干し場の写真に、


「2〜3年前までは、大森に海苔干し場があった」


とキャプションがついている辺り、東京の姿が激変していた時代を、感じさせる。


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小学校の社会科の副教科書に載っていた、「水上の生活」という一節は、興味深い。


「隅田川を中心として、港区、中央区、江東区などの堀割りには、小舟で荷物を運ぶ仕事をしている人たちが、その舟の中に住んでいます。


舟の中ですから、炊事や洗濯、買い物が不便なだけでなく、台風の時には、舟を守る苦労が大変です。


また、子供の通学にも、困ります。


そこで子供たちは、寝泊まりのできる水上小学校に、預けられます。


この子供たちは、休みの日に、父母のいる舟の家に帰るのを、一番の楽しみにしているのです」


一方、「丘陵や山地に住む人たち」の項に目を向けると、まだのどかな里山の描写が、こんな風に綴られている。


「多摩川の南に、小高い丘が続いています。


この多摩丘陵は、高い所まで畑となって、麦や野菜が作られています。


狭い谷間には、水田が開けています。


また、丘には雑木林や栗、柿の木が植えられ、農家の収入となっています」


丘陵の高い所まで広がっていた、畑地や谷間の水田は、10年と経たぬうちに、ニュータウンへと変貌したのだ。


[多摩ニュータウン]


オリンピックの頃から、ロケ撮影がスタートした『ウルトラQ』などをDVDで見ていると、宅地造成が始まりつつある、多摩丘陵らしき野山が、怪獣の格闘シーンとして、よく現れる。


【画像出典】