JET STREAM Skyway Chronicle
今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。
海外渡航自由化、そしてオリンピック聖火の輸送が行われた、1964年東京への旅。
コラムニスト・泉麻人のエッセイ『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』から、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第3夜。
1964年当時、小学2年生だった泉麻人。
彼が保管していた小学校の教科書には、その頃の東京の風景、人々の暮らしが綴られている。
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手元に、「私たちの東京」という、小学校の社会科の副教科書が保存されている。
小学4年生の時に使ったものだから、1966年の班になるが、文章の大方はその2〜3年前の、オリンピックの頃に書かれたものと思われる。
その文は、こんな書き出しで始まる。
「晴れた日に、東京タワーに登ると、東京の様子がよく分かります。
お堀や森に囲まれた皇居の周りには、大きなビルディングが立ち並び、沢山の自動車が行き来しています。
南の海には、汽船の浮かぶ東京港が見え、隅田川が銀色に光って、流れ込んでいます。
また、その海沿いや川沿いには、大小の煙突が立ち並んでいます」
いかにも高度経済成長期の東京を表現する解説だが、目次を眺めると、「低地に住む人たち」「大地に住む人たち」「丘陵や山地に住む人たち」「島に住む人たち」と、往年の小学社会科らしいプリミティブなタッチで、項目立てがされている。
ちなみに、ここで言う島というのは、豊洲や台場のような湾岸埋立地ではなく、大島をはじめとする伊豆七島の事である。
例えば、「低地に住む人たち」の項をめくっていくと、「海沿いの土地の生活」として、品川や羽田に残る海苔漁の話などが、解説されている。
[海苔漁]
浜辺の海苔干し場の写真に、
「2〜3年前までは、大森に海苔干し場があった」
とキャプションがついている辺り、東京の姿が激変していた時代を、感じさせる。
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小学校の社会科の副教科書に載っていた、「水上の生活」という一節は、興味深い。
「隅田川を中心として、港区、中央区、江東区などの堀割りには、小舟で荷物を運ぶ仕事をしている人たちが、その舟の中に住んでいます。
舟の中ですから、炊事や洗濯、買い物が不便なだけでなく、台風の時には、舟を守る苦労が大変です。
また、子供の通学にも、困ります。
そこで子供たちは、寝泊まりのできる水上小学校に、預けられます。
この子供たちは、休みの日に、父母のいる舟の家に帰るのを、一番の楽しみにしているのです」
一方、「丘陵や山地に住む人たち」の項に目を向けると、まだのどかな里山の描写が、こんな風に綴られている。
「多摩川の南に、小高い丘が続いています。
この多摩丘陵は、高い所まで畑となって、麦や野菜が作られています。
狭い谷間には、水田が開けています。
また、丘には雑木林や栗、柿の木が植えられ、農家の収入となっています」
丘陵の高い所まで広がっていた、畑地や谷間の水田は、10年と経たぬうちに、ニュータウンへと変貌したのだ。
[多摩ニュータウン]
オリンピックの頃から、ロケ撮影がスタートした『ウルトラQ』などをDVDで見ていると、宅地造成が始まりつつある、多摩丘陵らしき野山が、怪獣の格闘シーンとして、よく現れる。
【画像出典】