2024/5/28 1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。② | 福山機長の夜間飛行記録

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月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM Skyway Chronicle


今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。


海外渡航自由化、そしてオリンピック聖火の輸送が行われた、1964年東京への旅。


コラムニスト・泉麻人のエッセイ『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』から、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第2夜。


1964年当時、小学校2年生だった泉麻人は、その頃暮らしていた新宿区落合の風景を、描く。


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部分開通の新道広場でやった遊びとしては、スーパーボールやローラースケート、思えばオリンピックを挟んだ2〜3年で、路地裏のベーゴマやめんこが、アスファルト路面の時代に対応した、スーパーボールやローラースケートに、替わったのだ。


ところで、この時代の東京の街並みを回想する時に、思い浮かんでくるのが、赤塚不二夫の『おそ松くん』だ。


『おそ松くん』]


1962年4月から、少年サンデーで連載が始まったこの漫画には、オリンピック前後の世相や生活風景が、見事に記録されている。


僕が残していた、『おそ松くん』の記録ノートを見ると、コミックス第5巻に、「工事現場」「空き地と土管」などの書き込みがある。


六つ子が、年少のチビ太のおもりを任される話なのだが、やんちゃなチビ太は、ビルの工事現場に入っていったり、柵を乗り越えて、防火用水の池の敷地に侵入したり、チビ太が走り抜ける原っぱに、円筒形の土管が描かれている。


漫画にも「土管」と表記されているが、これは従来の粘土質のものではなく、人が入り込めるくらいのサイズの、コンクリート製のものだ。


『おそ松くん』では、泥棒をはじめとする怪しいおっさんの住処として、この頃からしばしば登場するようになる。


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下水道工事や新道工事が盛んだった当時、近所のちょっとした規模の空き地には、土管と呼ばれた、大型のコンクリート管が5個、6個と置かれていて、『忍者部隊月光』ごっこなんかをやる時の、格好の基地になった。


ちょうど、オリンピック開催の64年秋頃の漫画『おそ松くん』9巻には、六つ子の通学路のあちらこちらで、道路工事をやっていて、イヤミの仕切りで、勝手に人の家の中の近道を抜けて登校していくような話が、ある。


道端には、まだ木製のゴミ箱や、蓋の無いドブ川がよく描かれているけれど、この辺りはオリンピックを契機に消えていった、街の風景だ。


石垣の切り通し、土管のある原っぱの向こうに描かれた、三角屋根の洋館といったスケッチまで含めて、親しみを感じるのは、作者・赤塚不二夫の仕事場が、我が家の近場にあったせいなのかもしれない。


[赤塚不二夫]


後に知った事だが、あのトキワ荘は、我が家から2〜300メートルのご近所にあった。


もっとも、赤塚氏がトキワ荘近辺にいたのは、『おそ松くん』が始まって間もない頃までなのだが、その後も大久保、淀橋、僕と同じ新宿北西部に拠点があった。


原っぱの土管の風景は、『ドラえもん』にも見受けられるけれど、赤塚と藤子不二雄は、長らくスタジオゼロという同じ拠点で仕事をしてきた訳だから、そのシチュエーションの源は同じ。


オリンピックの頃の、東京西部の住宅街がベースとなっている、と見ていいだろう。


【画像出典】