JET STREAM Skyway Chronicle
今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。
海外渡航自由化、そしてオリンピック聖火の輸送が行われた、1964年東京への旅。
コラムニスト・泉麻人のエッセイ『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』から、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第2夜。
1964年当時、小学校2年生だった泉麻人は、その頃暮らしていた新宿区落合の風景を、描く。
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部分開通の新道広場でやった遊びとしては、スーパーボールやローラースケート、思えばオリンピックを挟んだ2〜3年で、路地裏のベーゴマやめんこが、アスファルト路面の時代に対応した、スーパーボールやローラースケートに、替わったのだ。
ところで、この時代の東京の街並みを回想する時に、思い浮かんでくるのが、赤塚不二夫の『おそ松くん』だ。
[『おそ松くん』]
1962年4月から、少年サンデーで連載が始まったこの漫画には、オリンピック前後の世相や生活風景が、見事に記録されている。
僕が残していた、『おそ松くん』の記録ノートを見ると、コミックス第5巻に、「工事現場」「空き地と土管」などの書き込みがある。
六つ子が、年少のチビ太のおもりを任される話なのだが、やんちゃなチビ太は、ビルの工事現場に入っていったり、柵を乗り越えて、防火用水の池の敷地に侵入したり、チビ太が走り抜ける原っぱに、円筒形の土管が描かれている。
漫画にも「土管」と表記されているが、これは従来の粘土質のものではなく、人が入り込めるくらいのサイズの、コンクリート製のものだ。
『おそ松くん』では、泥棒をはじめとする怪しいおっさんの住処として、この頃からしばしば登場するようになる。
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下水道工事や新道工事が盛んだった当時、近所のちょっとした規模の空き地には、土管と呼ばれた、大型のコンクリート管が5個、6個と置かれていて、『忍者部隊月光』ごっこなんかをやる時の、格好の基地になった。
ちょうど、オリンピック開催の64年秋頃の漫画『おそ松くん』9巻には、六つ子の通学路のあちらこちらで、道路工事をやっていて、イヤミの仕切りで、勝手に人の家の中の近道を抜けて登校していくような話が、ある。
道端には、まだ木製のゴミ箱や、蓋の無いドブ川がよく描かれているけれど、この辺りはオリンピックを契機に消えていった、街の風景だ。
石垣の切り通し、土管のある原っぱの向こうに描かれた、三角屋根の洋館といったスケッチまで含めて、親しみを感じるのは、作者・赤塚不二夫の仕事場が、我が家の近場にあったせいなのかもしれない。
[赤塚不二夫]
後に知った事だが、あのトキワ荘は、我が家から2〜300メートルのご近所にあった。
もっとも、赤塚氏がトキワ荘近辺にいたのは、『おそ松くん』が始まって間もない頃までなのだが、その後も大久保、淀橋、僕と同じ新宿北西部に拠点があった。
原っぱの土管の風景は、『ドラえもん』にも見受けられるけれど、赤塚と藤子不二雄は、長らくスタジオゼロという同じ拠点で仕事をしてきた訳だから、そのシチュエーションの源は同じ。
オリンピックの頃の、東京西部の住宅街がベースとなっている、と見ていいだろう。
【画像出典】