JET STREAM Skyway Chronicle
今週は、国際線就航70年を記念したスペシャル・フライト。
海外渡航自由化、そしてオリンピック聖火の輸送が行われた、1964年東京への旅。
コラムニスト・泉麻人のエッセイ『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』から、一部編集してお送りします。
今夜は、その第1夜。
1964年の、東京オリンピック開催当時。
泉麻人が暮らしていた、新宿区落合。
その頃の懐かしい風景を、泉はこんな風に綴っている。
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オリンピックの頃の、東京の街並みについて、書いておきたい。
新宿や渋谷、銀座などの繁華街の、当時のスナップを集めた写真集をいくつか持っているけれど、都心の方は後回しにして、まずは我が町の周辺から。
僕の暮らしていた落合という所は、新宿区の北西部にあって、我が家の辺りは、オリンピックの年の翌年くらいまでは下落合、その後は中落合の町名になった。
[落合]
現在の大江戸線の、落合南長崎駅のすぐ近くだったが、目白の方から来る目白通りに面した、八百屋さんの角の横道を入った先で、カラタチの垣根なんかをしつらえた、割とゆったりとした民家が並ぶ、山手町住宅街が奥へと続いていたが、脇道を折れた一角に、こじんまりした平屋が軒を並べる、いわゆる路地裏があった。
このエリアを、うちの大人たちは長屋と呼んでいたけれど、横長の1棟を3軒、4軒に分割した、下町によくある本当の長屋ではなく、固定の木造の家が、ポツポツと並んでいるだけだった。
家の前の道は、もう僕が物心つく頃には舗装されていたけれど、この一角は土の地面の所々に砂利が敷かれて、不形成な石ころや、瀬戸物の破片なんぞが埋まっている道だった。
逆L字を描くように、奥へ続く路地に入っていくと、時計修理の看板をひっそり出した、古い家の角の道端で、ガキ共が何かの樽を裏返しにした台の上でベーゴマ、その前の路面でめんこをやっていた。
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多分、初めてここに足を踏み入れたのは、小学生になったかどうかの頃だった、と思われる。
大体僕より2〜3年上の連中が主体で、中学生くらいの兄ちゃんも混じっていた。
ここで遊んでいるのは、ちょっと上世代の兄ちゃんたちなので、ベーゴマやめんこに描かれた野球選手の名や、絵柄のテーマが古いのだ。
めんこの絵は、エンタツアチャコや赤胴鈴之助、なんていった感じで、年少の僕はピンと来なかった。
つまり、4年、5年と使い回されてきた、遊び道具なのである。
ベーゴマやめんこの諸場のある角を曲がって、ちょっと行った右手に、井戸をポツンと置いた小さな空き地があって、ここでは何度か缶蹴りをやった覚えがある。
傍らのドブ溝に、黄桃缶の空き缶なんかがよく捨ててあって、こういうのをポンプ井戸の水で洗って使う。
銀玉鉄砲で遊んだのもこの路地裏だったが、ここが新道路のスペースになって、消えてしまうのだ。
オリンピックの時には、まだ完成していなかったから、いわゆるオリンピック道路とは呼べないかもしれないが、1964年辺りに立ち退きが始まって、翌年くらいに200メートルほどの区間が、広々としたアスファルト道路になった。
道路と言っても、まだ当初1〜2年は幹線道路と繋がっていなかったので、大して車が入ってくる事も無く、格好の遊び場になっていた。
【画像出典】



