2024/5/22 フーテンのマハ③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・原田マハのエッセイ『フーテンのマハ』を、一部編集してお送りしています。


美術にまつわる数々の小説を執筆してきた原田マハが、画家の原風景を訪ね歩く旅。


今夜は、その第3夜。


フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を追う、南フランスへの旅。


ゴッホが、アートのユートピアを作りたいと移り住んだ、アルルの街を歩く。


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アルルに来てからの数ヶ月間、ゴッホは本当によく仕事をした。


次から次へと、溢れんばかりに絵を描き続けた。


『アルルの跳ね橋』、『夜のカフェテラス』など、ゴッホと言えばあの作品、という数々の代表作を、わずか数ヶ月の間に生み出した。


オランダやパリには無い風景と、それを照らし出す強烈な太陽が、ゴッホの心をのびのびと自由にし、仕事に向かわせたのだろう。


その結果、ゴッホの呼びかけにようやく応えて、アルルへやってきた画家が、わずかに1人だけいた。


ゴーギャンである。


画友の到来を、どれほどゴッホが喜んだ事か。


ゴーギャンが来る!と狂喜乱舞して、そこからまた数々の名作が、生み出された。


本当に、ゴッホは泣けるくらい単純で、純粋で、真っ直ぐな人なのだ。


ゴッホが描いた、夜のカフェテラス。


そのカフェは、今も同じ場所にあり、夜遅くまで営業している。


『夜のカフェテラス』]


夜半に、そのカフェを訪れてみた。


テラスの明かりが、煌々と石畳の通りを照らし出し、漆黒の空に星々が見えた。


テラス席の人々は、ワインを飲んで談笑し、いつまでも帰らない。


ゴッホの絵、そのままの風景。


その場所を見つめる、画家の眼差し。


その情熱と孤独を感じながら、私もひと時、ゴッホの風景の一部となって、そこで過ごした。


ここにいたいと、思った。


いつまでも。


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アルルの街中には、ゴッホが描いた風景が、あちこちに残っている。


ゴーギャンと共同生活した、黄色い家の跡地に行ってみると、そこには、妙にモダンなデザインの小学校の校舎が建てられていて、黄色い家は跡形も無く消されていた。


が、そのすぐ近くを流れている川は、『ローヌ川の星月夜』の舞台となった風景を、今なお残していた。


星々が煌めく薄明るい夜空の下、川沿いをそぞろ歩く男女の姿が描かれた、叙情的な絵。


『ローヌ川の星月夜』]


私が訪れたのは、真夏の真昼だったものの、橋や川岸の様子はそのままだった。


きっと夜には、降るような星空が、川の上に広がる事だろう。


ゴッホが待ちに待った朋友、ゴーギャンとの共同生活だったが、えっ?と言うくらいあっけなく、終わってしまう。


わずか2ヶ月ほどで、ゴーギャンはパリへ戻ってしまうのだ。


絶望したゴッホは、発作的に自分の耳の一部を切り落とし、馴染みの娼婦に送りつけるという、異様な行動に出た。


この事件は警察沙汰になり、ゴッホはアルルの精神病院に、半ば強制的に入れられてしまった。


狂人のレッテルを貼られてしまったゴッホだったが、入院中も絵を描く事を止めなかった。


頭に包帯を付けてパイプを吹かしている、『包帯をしてパイプをくわえた自画像』は、ゴッホが数多く描いた自画像の中で、最も有名な一作だが、これも入院中に描かれたものだ。


『包帯をしてパイプをくわえた自画像』]


実際に、その絵が描かれた精神病院跡地に行ってみると、どこかしら殺伐としていて、物悲しい場所である。


「こんな所でも、描き続けたのか」


と、その信念の強さに、唸らされてしまった。


【画像出典】