2024/5/21 フーテンのマハ② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・原田マハのエッセイ『フーテンのマハ』を、一部編集してお送りしています。


今夜はその第2夜。


美術にまつわる、数々の小説を執筆してきた原田マハが、画家の原風景を訪ね歩く旅。


今週は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を追って、南フランスへ。


太陽がさんさんと降り注ぐ町アルルは、ゴッホの芸術に大きな変化をもたらした場所で、あった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ゴッホが生まれたのは、オランダ南部の小さな村で、寒々しい場所であった。


その後転々とした先も全て、それほど強い日差しの場所は、無かった。


パリやロンドンは、都市としての華やぎはあっても、日照はそれほどでもない。


アルルに来た時、ゴッホは35歳。


人生で初めて、これほどまでの太陽を経験して、一気に彼の芸術の開花が、進んだのだ。


本当に、こういう事は、来てみないと分からない事なのである。


光溢れる、暖かな風土。


そこに暮らす人々は、きっと明るくオープンな気質に違いない。


アルルの人々は、よそ者のゴッホを快く受け入れた。


モデルを雇う経済的余裕の無かったゴッホは、周囲の人々をモデルにして、数多くの肖像画を描いているが、アルルでも同様だった。


アルルの人々は、パリからやってきたオランダ人画家の要望に、気さくに応え、ポーズを取った。


アルルで生まれた肖像画に、優れた作品が多いのは、きっとそんな理由もあっての事だろう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そもそも、なぜゴッホはアルルへやってきたのか?


画家を目指す事自体出遅れたゴッホには、実は強いコンプレックスがあったように、私は思う。


パリで沸き起こっていた、新しい芸術の洗礼を受け、


「自分こそが世界を変えるんだ!」


と意気込む若い芸術家たちと交流して、自分も人とは違う何かをしたい、自分自身の表現を見つけたい、と願ったに違いない。


そのためには、パリではダメだ。


どこか、別の場所に行かなくては、との焦りがあったのではないか。


つまり、パリにはあまりにも沢山優秀な画家がいて、自分はその中に埋もれてしまうんじゃないかと。


だから、いっそパリから遠く離れた場所で、新しいモティーフ、自分だけの表現を見つけようと、一念発起した。


と、ここまではあくまで私の想像なのだが、あながち間違ってはいない気がする。


そして、なぜアルルだったのか?


画家仲間のロートレックに、


「アルルはいいぞ」


と、囁かれた事も理由の一つだったらしいが、ポール・ゴーギャンが地方の村ポンタバンで、芸術家仲間とシンパを作った事を模して、自分も芸術家仲間を呼び寄せて、アートのユートピアを作りたいと願った、というのが最大の理由だった。


[ポール・ゴーギャン]


そのためには、パリから遠く離れた場所で、気候が良くて、毎日気楽に画業に励める所が、理想的である。


そこにまず、自分が先陣切って乗り込み、いい作品を沢山描いて、


「どうだ、凄いだろう!」


と仲間に見せつけて、その気にさせて、続々仲間たちが駆けつける、という妄想をしたのかもしれない。


そんな思い一つを胸に抱いて、ゴッホはアルルへやってきたのである。


【画像出典】