JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、作家・原田マハのエッセイ『フーテンのマハ』を、一部編集してお送りしています。
今夜はその第2夜。
美術にまつわる、数々の小説を執筆してきた原田マハが、画家の原風景を訪ね歩く旅。
今週は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を追って、南フランスへ。
太陽がさんさんと降り注ぐ町アルルは、ゴッホの芸術に大きな変化をもたらした場所で、あった。
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ゴッホが生まれたのは、オランダ南部の小さな村で、寒々しい場所であった。
その後転々とした先も全て、それほど強い日差しの場所は、無かった。
パリやロンドンは、都市としての華やぎはあっても、日照はそれほどでもない。
アルルに来た時、ゴッホは35歳。
人生で初めて、これほどまでの太陽を経験して、一気に彼の芸術の開花が、進んだのだ。
本当に、こういう事は、来てみないと分からない事なのである。
光溢れる、暖かな風土。
そこに暮らす人々は、きっと明るくオープンな気質に違いない。
アルルの人々は、よそ者のゴッホを快く受け入れた。
モデルを雇う経済的余裕の無かったゴッホは、周囲の人々をモデルにして、数多くの肖像画を描いているが、アルルでも同様だった。
アルルの人々は、パリからやってきたオランダ人画家の要望に、気さくに応え、ポーズを取った。
アルルで生まれた肖像画に、優れた作品が多いのは、きっとそんな理由もあっての事だろう。
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そもそも、なぜゴッホはアルルへやってきたのか?
画家を目指す事自体出遅れたゴッホには、実は強いコンプレックスがあったように、私は思う。
パリで沸き起こっていた、新しい芸術の洗礼を受け、
「自分こそが世界を変えるんだ!」
と意気込む若い芸術家たちと交流して、自分も人とは違う何かをしたい、自分自身の表現を見つけたい、と願ったに違いない。
そのためには、パリではダメだ。
どこか、別の場所に行かなくては、との焦りがあったのではないか。
つまり、パリにはあまりにも沢山優秀な画家がいて、自分はその中に埋もれてしまうんじゃないかと。
だから、いっそパリから遠く離れた場所で、新しいモティーフ、自分だけの表現を見つけようと、一念発起した。
と、ここまではあくまで私の想像なのだが、あながち間違ってはいない気がする。
そして、なぜアルルだったのか?
画家仲間のロートレックに、
「アルルはいいぞ」
と、囁かれた事も理由の一つだったらしいが、ポール・ゴーギャンが地方の村ポンタバンで、芸術家仲間とシンパを作った事を模して、自分も芸術家仲間を呼び寄せて、アートのユートピアを作りたいと願った、というのが最大の理由だった。
[ポール・ゴーギャン]
そのためには、パリから遠く離れた場所で、気候が良くて、毎日気楽に画業に励める所が、理想的である。
そこにまず、自分が先陣切って乗り込み、いい作品を沢山描いて、
「どうだ、凄いだろう!」
と仲間に見せつけて、その気にさせて、続々仲間たちが駆けつける、という妄想をしたのかもしれない。
そんな思い一つを胸に抱いて、ゴッホはアルルへやってきたのである。
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