2024/5/23 フーテンのマハ④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。


今週は、作家・原田マハのエッセイ『フーテンのマハ』を、一部編集してお送りしています。


美術にまつわる数々の小説を執筆してきた原田マハが、画家の原風景を訪ね歩く旅。


今夜は、その第4夜。


作家は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を辿って、南フランスのアルルからサン・レミの街へ、やってきた。


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3ヶ月ほど、アルルの病院への入退院を繰り返していたゴッホは、その後担当医の勧めもあって、アルル近郊の村サン・レミ・ド・プロヴァンスの、修道院附属の精神病院に転院する。


このいきさつがまた、壮絶なのだ。


その頃、ゴッホを経済的に支えていたのは、パリで画商をしていた弟のテオだった。


テオは、兄が画家になる前から、そして画家となってからは尚の事、献身的に兄を支えていた。


ゴッホは、テオの支援に応えたいという思いがいつもありながら、なかなかそうできない。


ついに、警察沙汰になる事件まで引き起こしてしまった彼は、南仏で平常な精神を取り戻し、テオの待つパリへ、帰りたいと願った。


そのためには、ただひたすら絵を描き続ける事以外には、無い。


サン・レミの病院では、リハビリの一環として、外に出て絵を描く事も許されると知ったゴッホは、自ら望んで転院するのである。


ゴッホの時代には馬車で移動したアルルから、サン・レミへの道を、私は車で走った。


それこそ、絵に描いたような田園風景が広がり、遠くの山々は、見覚えのある特徴的な形をしている。


ゴッホが描いた風景画の中に登場する山々だと、途中で気がついた。


一面の麦畑や、天を突くように勢いよく伸びる糸杉。


どの風景にも、既視感があった。


今なら、ほんの30分ほどで到着する道を、ゴッホは一体どんな思いを胸に、馬車に揺られて行ったのだろうか?


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ゴッホが、1年間入院したサン・レミの修道院附属の病院跡地は、サン・レミの街の外れに、ひっそりと残されていた。


[修道院]


私が到着した時は、閉館の1時間前だったので閑散としていたが、それでも何組かの熱心なゴッホ巡礼者が、私と共に入っていった。


門から敷地内へと続く小道沿いに、アイリスが植えられているのが、目に入った。


花は咲いていなかったものの、尖った葉が生い茂り、その側にゴッホが描いた、アイリスの複製画のパネルが、添えられてあった。


私は、何度かその作品を目にした事があるが、激しい色彩と生命感に溢れた、紛う方ない傑作であった。


あの作品が、ここで描かれたのかと、不意に胸を突かれた。


ゴッホがこの場所に到着したのは、1889年の5月。


アイリスの花咲く季節である。


いかにも小さな一隅に咲き誇っていたアイリスに、この病院に到着したばかりのゴッホは、目をつけたのだ。


そして、瑞々しい藍色の花々を、ありったけの情熱を込めて、描き上げたのだ。


この、世界一ささやかな一隅で描かれた絵が今、世界中の人々に愛されている。


その皮肉と幸運を、私は思った。


おそらくゴッホは、自分の絵の行く末を信じて描いたわけでは、ない。


その時ただ、そうしたかった。


それだけだった。


それで、良かったのだ。


画家の突き上げるような思いが、時を超えてその瞬間、私の胸に届いた。


本当の、画家の原風景に触れた、かけがえのない瞬間だった。


【画像出典】