JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、作家・原田マハのエッセイ『フーテンのマハ』を、一部編集してお送りしています。
美術にまつわる数々の小説を執筆してきた原田マハが、画家の原風景を訪ね歩く旅。
今夜は、その第4夜。
作家は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯を辿って、南フランスのアルルからサン・レミの街へ、やってきた。
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3ヶ月ほど、アルルの病院への入退院を繰り返していたゴッホは、その後担当医の勧めもあって、アルル近郊の村サン・レミ・ド・プロヴァンスの、修道院附属の精神病院に転院する。
このいきさつがまた、壮絶なのだ。
その頃、ゴッホを経済的に支えていたのは、パリで画商をしていた弟のテオだった。
テオは、兄が画家になる前から、そして画家となってからは尚の事、献身的に兄を支えていた。
ゴッホは、テオの支援に応えたいという思いがいつもありながら、なかなかそうできない。
ついに、警察沙汰になる事件まで引き起こしてしまった彼は、南仏で平常な精神を取り戻し、テオの待つパリへ、帰りたいと願った。
そのためには、ただひたすら絵を描き続ける事以外には、無い。
サン・レミの病院では、リハビリの一環として、外に出て絵を描く事も許されると知ったゴッホは、自ら望んで転院するのである。
ゴッホの時代には馬車で移動したアルルから、サン・レミへの道を、私は車で走った。
それこそ、絵に描いたような田園風景が広がり、遠くの山々は、見覚えのある特徴的な形をしている。
ゴッホが描いた風景画の中に登場する山々だと、途中で気がついた。
一面の麦畑や、天を突くように勢いよく伸びる糸杉。
どの風景にも、既視感があった。
今なら、ほんの30分ほどで到着する道を、ゴッホは一体どんな思いを胸に、馬車に揺られて行ったのだろうか?
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ゴッホが、1年間入院したサン・レミの修道院附属の病院跡地は、サン・レミの街の外れに、ひっそりと残されていた。
[修道院]
私が到着した時は、閉館の1時間前だったので閑散としていたが、それでも何組かの熱心なゴッホ巡礼者が、私と共に入っていった。
門から敷地内へと続く小道沿いに、アイリスが植えられているのが、目に入った。
花は咲いていなかったものの、尖った葉が生い茂り、その側にゴッホが描いた、アイリスの複製画のパネルが、添えられてあった。
私は、何度かその作品を目にした事があるが、激しい色彩と生命感に溢れた、紛う方ない傑作であった。
あの作品が、ここで描かれたのかと、不意に胸を突かれた。
ゴッホがこの場所に到着したのは、1889年の5月。
アイリスの花咲く季節である。
いかにも小さな一隅に咲き誇っていたアイリスに、この病院に到着したばかりのゴッホは、目をつけたのだ。
そして、瑞々しい藍色の花々を、ありったけの情熱を込めて、描き上げたのだ。
この、世界一ささやかな一隅で描かれた絵が今、世界中の人々に愛されている。
その皮肉と幸運を、私は思った。
おそらくゴッホは、自分の絵の行く末を信じて描いたわけでは、ない。
その時ただ、そうしたかった。
それだけだった。
それで、良かったのだ。
画家の突き上げるような思いが、時を超えてその瞬間、私の胸に届いた。
本当の、画家の原風景に触れた、かけがえのない瞬間だった。
【画像出典】