JET STREAM・・・作家が描く世界への旅。
今週は、自然写真家・高砂淳二によるフォトエッセイ『光と虹と神話』より、一部編集してお送りします。
今夜はその第1夜。
「アザラシたちのゆりかご」
カナダのセントローレンス湾に浮かぶ、流氷の世界へ、ご案内します。
番組WEBサイトの、高砂淳二の写真と共に、お楽しみください。
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2月になると、グリーンランドの海から、カナダのセントローレンス湾に、はるばるタテゴトアザラシがやってくる。
湾内に浮かぶ流氷の上で、出産・子育てを行うためだ。
彼らはまるで、正確なカレンダーを持っているかのように、2月末になると、真っ白い氷の上で一斉に出産する。
出産後2週間、母アザラシたちは子への授乳に専念し、それを終えると雄たちと交尾を始め、次のシーズンの準備に入る。
地球のサイクルに合わせた出産や交尾と、季節になると南下してくる、流氷という自然の恩恵を使った子育て。
アザラシたちは、こんな地球規模の生き様を、無心に続けてきた。
僕は以前、2シーズンほど、流氷の上にヘリで降り立ち、撮影をした事があった。
ここ10年は、地球温暖化の影響で流氷が貧弱なため、ヘリで降りられないような年が多かったのだが、2018年は冬の寒波で久々に、しっかりした流氷だという情報を得て、カナダに向かった。
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2018年、冬の寒波に見舞われたカナダのセントローレンス湾で、しばらくぶりに降り立った流氷の上は、以前ほどではないが、パキーンと空気が冷たかった。
あちこちに赤い胎盤と、血の跡が生々しく残っていて、その近くには、生まれたばかりの羊水の黄色が染みた小さいアザラシと、大きな母アザラシが横になっている。
[アザラシ]
懸命に生きようとする彼らの表情は、どれも本当に美しく、夢中で撮影しまくった。
生まれたばかりのアザラシは、栄養たっぷりの母乳を飲んで、毎日2キロずつ脂肪を蓄えていく。
しかし最初の2週間ほどで、母親からの授乳はおしまいで、その後はそれまでに蓄えた脂肪を元手に、自分で何とか生きていかなければいけない状況になる。
美味しい食べ物がいっぱいあって、体の脂肪を減らすのに、四苦八苦している人間の事を知ったら、さぞかし羨ましがるに違いない。
この流氷の上で、一晩過ごしてみた事がある。
夜中、彼らと並んで氷の上に寝そべり、凍えるような寒さの中、降ってきそうな星々を眺めた。
彼らの住む地球は、僕ら人間の住む地球とは全く別の、野生そのものの宇宙を巡る地球だった。
何日か撮影した後、僕はカナダの別の場所に移動したのだが、そこでたまたま目にした、カナダの流氷状況サイトを見て、唖然とした。
なんと、僕が現地を出て10日ほど経った頃には、気温が上昇し、アザラシを撮影した辺りの流氷はほぼ消滅して、春の海と化してしまっていたのだ。
通常、4週間ほど氷の上で成長し、自立していくアザラシの子たちが、2〜3週間で氷を失ってしまった事になる。
撮影した子たちは、どうなってしまっただろう?
子供のアザラシたちの写真を見ても、彼らの無垢な目には、温暖化している地球は映っていない。
どこまでも透明で純粋なその瞳に、こちらの心苦しい気持ちが、映し出されてくるだけだ。
【画像出典】