2024/3/29 小さいころに置いてきたもの⑤ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

『JET STREAM』

作家が描く世界への旅。

今週は、俳優・ユニセフ親善大使の、黒柳徹子のエッセイ集『小さいころに置いてきたもの』の中から、「ホロビッツさんのハンカチ」を、番組用に編集してお届けしています。

今夜は、その最終夜。

1986年、デザイナーの森英恵さんの自宅で開かれた小さなパーティーには、20世紀最高のピアニストと称される、ウラディミール・ホロビッツとその奥様の姿も、あった。

音楽家の家に育ち、若き日にニューヨークで音楽を学んだ、黒柳徹子。

名司会者らしく、ホロビッツ夫妻から様々な話を聞いた。

そして、オーデコロンの香りのくしゃくしゃのハンカチが、ささやかな思い出として残った。


「ねえ。

コロンの匂い、嗅いでみて。

いいでしょう?」

と、ホロビッツさん。

森先生は少し嗅いで、

「コロンは、何がお好きでいらっしゃるの?」

とお聞きになると、ホロビッツさんは、

「何でもいいの、コロンなら」

と、不思議な返事だった。

森先生が、

「あら。

それなら、私の作ったコロンがありますから、差し上げますわ」

と言うと、ホロビッツさんは、

「えっ、嬉しいなあ!

じゃ、下さいね」

と、ニコニコ顔だった。

その頃NHKの磯村さんは、小声で私に、

「もう僕は降ります。

今、彼についていけるのは、黒柳さんだけですよ。

頑張ってくださいね」

と、おっしゃった。

そのくらい、ホロビッツさんのテンションは高く、話が縦横無尽にあっちにこっちに行くので、本当に私以外はみんなクタクタという、凄いエネルギーだった。

決して、大袈裟な身振り手振りがある訳でもなく、声が大きいというのでもないけれど、静かな躁状態の雰囲気が、流れていた。

それでいて、傷つきやすい人だという事は、誰にも分かった。

向こうのマダムのテーブルは、皆さんお上品で物静かで、何かこっちのテーブルと物凄く違うようだった。

コーヒーとデザートは、少し移動してソファーのある所だった。

奥様は胸像のまま、斜め前のアームチェアに、お座りになった。


私が、

「こんばんは」

とご挨拶すると、想像していたのよりずっと優しい声で、

「こんばんは」

と、おっしゃった。

「ご主人って、本当に面白い方でいらっしゃいますのね。

お家でも、そうでいらっしゃいますの?」

と伺うと、

「いいえ。

家じゃ全然、喋りませんの」

という、意外なお返事だった。

私はホロビッツさんに、

「これからホテルにお帰りになったら、どうなさるの?」

と聞いた。

すると、すごく嬉しそうに笑って、

「バンバンバン!」

と、ピストルを撃つ真似をした。

「何です!?」

と、私はびっくりした。

「ビデオを見るの。

何でもいいから、ビデオは活劇。

007とか、バンバンやるやつ。

家からいっぱいビデオを持ってきてる」

「奥様もご一緒に?」

と私が聞くと、ホロビッツさんはチラリと奥様をご覧になると、長い体を曲げて、小声で私に、

「いいえ。

マダムが寝てから、一人で見るの。

明け方まで見てる。

何本でも見るんだ。

いっぱい持ってきてるから。

007なんて、同じの何回も見てる。

大好きなんでね」

そんな風にしてコーヒーが終わり、お別れになった。

私が着物を着ていたので、ホロビッツさんは、

「お人形みたいだね」

と言って、おやすみなさい、と体を屈めて、私のほっぺたにロシア風なのか、右、左、右とキスしてくださった。

その時は、妙に大人っぽかった。

私は家に帰ると、くしゃくしゃの形のまま、ハンカチをプラスチックの透明な箱があったので、その中にそっと仕舞った。

[ハンカチ]

それから、もう22年。

持ち主は旅立ってしまったが、ハンカチの思い出は、静かにここに眠っているのだ。


【画像出典】

https://item.rakuten.co.jp/fukuichiyuutokudo/10000060/