『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、女優、中谷美紀のエッセイ『オーストリア滞在記』を、一部編集してお送りしています。
今夜はその第3夜。
「5月2日 ガーデニング哲学」
ドイツ人で、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団のメンバー、ティロ・フェヒナー氏と結婚し、オーストリア・ザルツブルクの自宅で過ごす、コロナ禍の毎日。
4月の末に一部の店が再開し、夫婦は自分たちの庭を、造り始めた。
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早起きをして、オーバーエスターライヒ州へ、車を走らせる事1時間半。
希少な宿根草や、グラス類を扱う園芸専門店、ザラストロを訪れた。
こちらもホルン奏者のセバスチャンの紹介で、ザルツブルクのマイヤーでは扱っていないグラス類、そして木陰に植えるための陰生植物を求めて、はるばるやってきたのだった。
コロナ禍により、人手も車も少ない道をひたすら走り続け、ヒットラーの生まれた町、ブラウナム・アム・インを通り過ぎて辿り着いたその場所は、広大な敷地の一面に、まだ芽吹いて間もない植物の苗が敷き詰められ、グラスがそよぐ庭、宿根草の庭、陰生植物の庭など、モデルガーデンがいくつも展示されたワンダーランドで、わずか2〜3名の先客たちは、各々目的の植物の学名と、ドイツ語名を記したメモを手に、苗を吟味していた。
降雨が予想されていたにもかかわらず、空には晴れ間が覗き、オーナーのクリスティアン・クレス氏自ら、大切に株分けをしたり、採取した種から、実生で育てた植物の苗たちが、来たる夏の季節に向けて葉を伸ばそうと、生命力をみなぎらせていた。
探究心に溢れた10代の頃に、書店や映画館を訪れた際の、血が騒ぐ感覚。
美術館やギャラリーにて、好みのアーティストを発見した際の興奮が蘇り、思わず声を上げそうになったほど、そこには私の好きな植物たちが、果てしなく並べられていた。
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まずはモデルガーデンを渡り歩いて、ザラストロのガーデニング哲学のようなものを嗅ぎ取ると、除草や木々の剪定などを最小限にとどめ、極力自然に近い形で庭を保っている事が、感じられた。
咲き終わった花が萎れた様もそのまま。
グラスも冬枯れの姿のままとどめてあり、余白を埋めようと、開花したばかりの新たな花を必死に植えた形跡も無く、おそらくその場に植えた宿根草が、何年も繰り返し花開き、枯れていくに任せているのだろう。
黒いふわふわとした、ハーブのようなものが至る所に植えられており、興味をそそられてタグを見ると、フェンネルである事が判明した。
[フェンネル]
ハーブに特化した庭でなくとも、ブラックフェンネルを植える事で、庭に緩さが加わり、正しい庭と言うよりは無造作な庭になるのだと、学んだ。
さて、いよいよ我が家に連れ帰る植物の選定に入り、黒いネット状のテントの下を覗いてみると、幾多のギボウシが並んでいた。
[ギボウシ]
どうやらそこは陰生植物のコーナーで、大小様々、ふの入ったものや青緑の美しいものなど、それはそれは選び甲斐があった。
できるだけ、野山に生息する植物の姿に近いものをと思い、ああでもない、こうでもないと吟味していると、自然と戯れる人物特有の、地に足の着いた空気を纏い、それでいて諦念を含む笑みを湛えた、オーナーのクリスティアン・クレス氏が現れ、
「これは、小さいまま大きくはならないから、大きいものや、他の陰生植物と組み合わせるといいよ」
と、説明してくれた。
我が家にも、いくつか陰生植物に適した箇所があり、山のシダを移植したりはしてきたのだけれど、シダに寄り添う陰生植物がこんなにも沢山あるなんて、ついつい浮き足立ってしまう。
大きなスズランのような、美しいアマドコロも発見し、3株ほど頂く事にした。
【画像出典】