2024/1/24 怪魚を釣る③ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

『JET STREAM』


作家が描く世界への旅。


今週は、怪魚ハンター・小塚拓矢によるエッセイ『怪魚を釣る』より、一部編集してお送りしています。


今夜はその第3夜。


巨大淡水魚、いわゆる怪魚と呼ばれる魚を追いかけ、世界56ヶ国を旅してきた小塚拓矢。


今夜はそんな小塚が、怪魚ハンターを始めた頃の、話。


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魚を釣るために大切なもの。


それは、技術や道具などではない。


重要なのは、情熱と情報だ。


どこに行けば釣れるのか、それを調べるところから、旅は始まる。


そして、集めた情報を集約し、最終的に釣りに至るまでの過程が、肝心だ。


なかなか出会う事のできない怪魚を前に、途中で挫けそうになる事もある。


そんな時には、


「この魚に出会わなければ、帰れない!」


という熱い思いが、心の支えとなり、忍耐力を生む。


しかし、本音を言うと、純粋な思いだけでもない。


その魚を釣るために費やした、膨大な時間と金を思えば、とても途中で諦める事などできないのだ。


また、誰かに先を越されたくないという思いも、当然ある。


もしも、自分に釣り上げる事ができなければ、その魚を狙っているライバルたちが、喜ぶだろう。


その顔を想像すると、


「なんとしても釣ってやる!」


という勇気が、湧いてくる。


特に、怪魚釣りを始めた頃は、目的とする旅を終えたら、就職活動をするつもりだったので、ここで釣らなければ、もう二度と来る事は無いだろうと思っていた。


出会いたいと言うより、出会わないと帰れない!という一念で、釣ってきた感じだ。


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最初に怪魚釣りの旅に出た2004年は、ちょうどインターネットが、個人による情報発信手段として、利用され始めた頃。


SNSという言葉も、スマートフォンも無い時代だった。


2005年に、初めてパプアニューギニアに行った時は、現地の様子が、肌感覚で伝わってくるような個人サイトは見当たらず、結局見つかったのは商業目的のサイトだけだった。


一応、そのサイトの運営者に連絡をしたものの、希望の場所へ行くにはツアーを手配せねばならず、そのためにかかる経費は、学生である僕の予算を遥かに超えていた。


仕方がないので、パプアニューギニアまで、とりあえず行ってみる事にした。


実は事前に釣り雑誌で、パプアニューギニアのフライ川流域にある村へ行けば、パプアンバスという巨大魚が釣れるという情報を、得ていた。


[パプアンバス]


まずはこの村を目指し、その後さらに奥まで足を伸ばそうと考えた。


しかし、旅に誤算は付き物だ。


第一目的地の村で大魚を釣り上げた後に、熱を出して倒れてしまった。


そのため、予定していた奥地に行く事は、叶わなかった。


大きな病院など無いような村だったので、検査はしていないのだが、あの関節痛はマラリアだったのだろう。


当時居候していた家の主で、村一番のワニ漁師ワビルには、本当に世話になった。


これが縁となり、ワビル一家との付き合いは今も続いている。


泣く泣く断念した奥地への遡上だが、2013年にはワビルのサポートを得て、再挑戦した。


しかし、8年越しの挑戦も虚しく、パプアンバスを釣る事はできなかった。


予想外だったのは、上流にある銅鉱山から、奥地へと物資や資本が流入していた事だ。


奥地は、ワビルの村よりも近代化していたのである。


結果として分かったのは、ワビルの村こそが、この流域で最も文明から距離を置いており、魚も残っている場所だという事だった。


【画像出典】