『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第2章を番組用に編集してお届けしています。
今夜はその最終夜。
33歳。
作家として、本格的に小説を書き始めた時に、村上春樹は走り始め、フルマラソンにも挑戦するランナーとなった。
朝早く起きて、ランニングシューズの紐を結ぶ時の気持ちを、小説家は率直に綴っていく。
人生の分岐点を見つめ、自分を鼓舞しながら、また走り出す。
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しかし、いくら長い距離を走る事が性に合っていると言っても、やはり
「今日は体が重いなぁ。
なんとなく、走りたくないな」
という日は、ある。
と言うか、しばしばある。
そういう時には、色んなもっともらしい理由をつけて、走るのを休んでしまいたくなる。
オリンピックランナーの瀬古利彦さんに、1度インタビューをした事がある。
現役を退いて、エスビーチームの監督に就任した、少し後の事だ。
[瀬古利彦]
その時に僕は、
「瀬古さんくらいのレベルのランナーでも、
『今日は、なんか走りたくないなぁ。
嫌だなぁ。
家でこのまま寝ていたいなぁ』
と思うような事って、あるんですか?」
と、質問してみた。
瀬古さんは、文字通り目を剥いた。
そして、なんちゅう馬鹿な質問をするんだ、という声で、
「当たり前じゃないですか。
そんなの、しょっちゅうですよ」
と言った。
今にして思えば、我ながら確かに愚問だったと思う。
いや、その時だって、それが愚問である事は分かっていた。
しかしそれでも、僕は瀬古さんの口から、直接その答えを聞いてみたかったのだ。
たとえ、筋力や運動量やモチベーションのレベルが、天と地ほど違っていたとしても、朝早く起きてランニングシューズの紐を結ぶ時に、彼が僕と同じような思いをした事があるのかどうかを。
そして、瀬古さんのその時の答えは、僕を心底ホッとさせてくれた。
「ああ、やっぱり。
みんな同じなんだ」
と。
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個人的な事を言わせていただければ、僕は
「今日は走りたくないなぁ」
と思った時には、常に自分にこう問いかけるようにしている。
「お前は一応小説家として生活しており、好きな時間に自宅で一人で仕事ができるから、満員電車に揺られて朝夕の通勤をする必要も無いし、退屈な会議に出る必要も無い。
それは、幸運な事だと思わないか?
それに比べたら、近所を1時間走るくらい、何でもない事じゃないか」
満員電車と会議の光景を思い浮かべると、僕はもう一度自らの志気を鼓舞し、ランニングシューズの紐を結び直し、比較的すんなりと走り出す事ができる。
「そうだな。
これくらいはやらなくちゃ、バチが当たるよな」
と思って。
もちろん、1日に平均1時間走るよりは、混んだ通勤電車に乗って会議に出た方がまだマシだよ、という人が数多くおられる事は承知の上で、申し上げている訳だが。
いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。
33歳。
それが、僕のその時の歳だった。
まだ十分若い。
でももう、青年とは言えない。
イエス・キリストが死んだ歳だ。
スコット・フィッツジェラルドの凋落は、その辺りから既に始まっていた。
それは、人生の1つの、分岐点みたいな所なのかもしれない。
そういう歳に、僕はランナーとしての生活を開始し、遅まきながら小説家としての本格的な出発点に、立ったのだ。
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