『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第2章を番組用に編集してお届けしています。
今夜はその第4夜。
人は、なるべくしてランナーになる、と村上春樹は言う。
マラソンを走り続けられるのは、意志が強かったからではない。
走る事が、性に合っていたからだろう、と。
そこには、然るべき真理がある。
小説家として、ランナーとして、今日も世界のどこかで、村上春樹は走っているだろうか?
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毎日走り続けていると言うと、その事に感心してくれる人がいる。
「随分、意志が強いんですね」
と、時々言われる。
褒めてもらえればもちろん嬉しい。
貶されるよりは、ずっといい。
しかし、思うのだけれど、意志が強ければなんでもできてしまう、というものではないはずだ。
世の中はそれほど単純には出来ていない。
と言うか、正直なところ、日々走り続ける事と意志の強弱との間には、相関関係はそれほど無いんじゃないか、という気さえする。
僕がこうして、20年以上走り続けていられるのは、結局は走る事が性に合っていたからだろう。
少なくとも、それほど苦痛ではなかったからだ。
人間というのは、好きな事は自然に続けられるし、好きではない事は続けられないように出来ている。
そこには、意志みたいなものも、少しくらいは関係しているだろう。
しかし、どんなに意志が強い人でも、どんなに負けず嫌いな人でも、意に沿わない事を長く続ける事はできない。
また、たとえできたとしても、かえって体に良くないはずだ。
だから僕は、ランニングを周りの誰かに薦めた事は、一度もない。
「走るのは素晴らしい事だから、みんなで走りましょう!」
みたいな事は、極力口にするまいと思っている。
もし長い距離を走る事に興味があれば、放っておいても、人はいつか自分から走り出すだろうし、興味が無ければ、どれだけ熱心に薦めたところで無駄だ。
マラソンは、万人に向いたスポーツではない。
小説家が、万人に向いた職業ではないのと、同じように。
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僕は、誰かに薦められたり、求められたりして、小説家になった訳ではない。
思うところあって、勝手に小説家になった。
それと同じように、人は誰かに薦められて、ランナーにはならない。
人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。
とはいえ、こういう文章を読んで興味を持ち、
「じゃあ、ちょっと走ってみようか」
と思って実際に走ってみたら、
「おお、結構楽しいじゃないか」
というような事があるかもしれない。
それはもちろん、麗しい展開ではある。
もしそういう事があれば、この本の著者としても、大変嬉しい。
しかし、人には向き不向きがある。
フルマラソンに向いている人もいれば、ゴルフに向いている人もいれば、賭け事に向いている人もいる。
学校で体育の時間に、生徒全員に長距離を走らせている光景を目にする度に、僕はいつも
「気の毒になぁ」
と、同情してしまう。
[体育]
走ろうという意欲の無い人間に、あるいは体質的に向いていない人間に、頭ごなしに長距離を走らせるのは、意味の無い拷問だ。
無駄な犠牲者が出ないうちに、中学生や高校生に画一的に長距離を走らせるのは、止めた方がいいですよと忠告したいんだけど、まあそんな事を僕ごときが言っても、きっと誰も耳を貸してはくれまい。
学校とは、そういう所だ。
学校で僕らが学ぶ最も重要な事は、最も重要な事は学校では学べない、という真理である。
【画像出典】