2023/2/9 走ることについて語るときに僕の語ること④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM


作家が描く世界への旅。


今週は、作家・村上春樹のメモワール『走ることについて語るときに僕の語ること』より、第2章を番組用に編集してお届けしています。


今夜はその第4夜。


人は、なるべくしてランナーになる、と村上春樹は言う。


マラソンを走り続けられるのは、意志が強かったからではない。


走る事が、性に合っていたからだろう、と。


そこには、然るべき真理がある。


小説家として、ランナーとして、今日も世界のどこかで、村上春樹は走っているだろうか?


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毎日走り続けていると言うと、その事に感心してくれる人がいる。


「随分、意志が強いんですね」


と、時々言われる。


褒めてもらえればもちろん嬉しい。


貶されるよりは、ずっといい。


しかし、思うのだけれど、意志が強ければなんでもできてしまう、というものではないはずだ。


世の中はそれほど単純には出来ていない。


と言うか、正直なところ、日々走り続ける事と意志の強弱との間には、相関関係はそれほど無いんじゃないか、という気さえする。


僕がこうして、20年以上走り続けていられるのは、結局は走る事が性に合っていたからだろう。


少なくとも、それほど苦痛ではなかったからだ。


人間というのは、好きな事は自然に続けられるし、好きではない事は続けられないように出来ている。


そこには、意志みたいなものも、少しくらいは関係しているだろう。


しかし、どんなに意志が強い人でも、どんなに負けず嫌いな人でも、意に沿わない事を長く続ける事はできない。


また、たとえできたとしても、かえって体に良くないはずだ。


だから僕は、ランニングを周りの誰かに薦めた事は、一度もない。


「走るのは素晴らしい事だから、みんなで走りましょう!」


みたいな事は、極力口にするまいと思っている。


もし長い距離を走る事に興味があれば、放っておいても、人はいつか自分から走り出すだろうし、興味が無ければ、どれだけ熱心に薦めたところで無駄だ。


マラソンは、万人に向いたスポーツではない。


小説家が、万人に向いた職業ではないのと、同じように。


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僕は、誰かに薦められたり、求められたりして、小説家になった訳ではない。


思うところあって、勝手に小説家になった。


それと同じように、人は誰かに薦められて、ランナーにはならない。


人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。


とはいえ、こういう文章を読んで興味を持ち、


「じゃあ、ちょっと走ってみようか」


と思って実際に走ってみたら、


「おお、結構楽しいじゃないか」


というような事があるかもしれない。


それはもちろん、麗しい展開ではある。


もしそういう事があれば、この本の著者としても、大変嬉しい。


しかし、人には向き不向きがある。


フルマラソンに向いている人もいれば、ゴルフに向いている人もいれば、賭け事に向いている人もいる。


学校で体育の時間に、生徒全員に長距離を走らせている光景を目にする度に、僕はいつも


「気の毒になぁ」


と、同情してしまう。


[体育]


走ろうという意欲の無い人間に、あるいは体質的に向いていない人間に、頭ごなしに長距離を走らせるのは、意味の無い拷問だ。


無駄な犠牲者が出ないうちに、中学生や高校生に画一的に長距離を走らせるのは、止めた方がいいですよと忠告したいんだけど、まあそんな事を僕ごときが言っても、きっと誰も耳を貸してはくれまい。


学校とは、そういう所だ。


学校で僕らが学ぶ最も重要な事は、最も重要な事は学校では学べない、という真理である。


【画像出典】