『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、『ジェットストリーム イン ハワイ』。
作家・池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』より、一部編集してお送りしています。
今夜はその第4夜。
爽やかなハワイイの海風を受ける家に暮らす、サーファーのロビン、ジェニー、サムの3人と主人公は、夕闇のレストランで語らい続ける。
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その晩行ったのは、気取らないイタリア料理の店だった。
3種類のパスタと、1種類のリゾットを取って、みんなで分けて食べている時、僕は尋ねた。
「どうして、あのすごい家に住む事になったの?」
「ロビンがどうしても住みたかったから」
とジェニーが言った。
するとロビンが、
「あの家があそこにある事も、広くて立派で、細かいところまで美しい事も、僕は子供の頃から知っていた。
僕はこの近くで育ったし、あの家は有名だった」
と、話してくれた。
「A&Bの、Aだから?」
と僕が聞くと、
「その通り。
でもそれ以上に、ディッキーの設計だから。
ディッキーの作品で、今みんながよく知っているのは、ハレクラニホテルの旧館の方だね」
[ハレクラニホテル]
とロビンが言った。
「アレグザンダー家は、戦後になって、あの家を手放した。
何回か所有者が変わった。
それも、みんな僕たちは噂で聞いていた。
最後に聞いたのは、日本の企業が買った、という話だった」
さらにジェニーが続ける。
「でも、今は持て余してるの。
あの建物の価値を強調したうえで、誰かに売ってしまおうとしている。
だから、建物が荒れては困るのね。
それで、ロビンが聞いてきたのよ。
あそこが信頼できる管理人を探しているという話を。
でも彼らが探していたのは、夫婦者だった。
夫が庭仕事や大工仕事をして、妻が掃除をする、という」
するとロビンは、当時を思い出すように言った。
「最初に見た時は、酷い状態だったよ。
庭は草ぼうぼうだったし、家の中も荒れ放題」
「でもロビンは、一人だから資格が無い。
そこで、私を巻き込んで、偽装同棲を図った訳」
と、ジェニーが説明すると、すかさずロビンが返す。
「ジェニーにも、あの素晴らしい家に住むという体験をさせてあげようという親切だよ。
それに、ミッキーが帰ってきた時だって、広い家の方が気持ちがいい」
「ミッキーというのは、私のボーイフレンドなの」
と、ジェニーはなぜか早口で説明した。
デレていたのかも、しれない。
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「私とロビンで、相手のところに行って、家賃はタダ、その代わり家の管理を徹底してやり、そのための費用はこちら持ち、という条件で、話をまとめたの。
買い手が見に来た時に、すぐにも住める魅力的な家だと思うような状態にしておくのが義務で、そのレベルに達していない、と彼らが判断すれば、追い出される」
とジェニーが言うと、
「でも、ともかく、ディッキーの家に住めるんだよ」
と、ロビンが微笑んだ。
「修繕と維持で、すごくお金がかかっているわ」
と呆れるジェニーに、ロビンは、
「それで、サムを呼んだんだ。
友達で、何でも修理できて、独り者だから、住み込むにも何の問題もない。
なんといっても、部屋は沢山あるんだし」
と、応戦した。
「買い手がついたら、どうなるの?」
と僕は聞いた。
「決まってるさ。
出るしかないよ」
と言うロビンを見て、つまらない事を聞いたと、僕は思った。
「幽霊が出るという話でも作ろうかしら?
チャールズ・ディッキーの幽霊が出て、住む者の生き血を吸う、とか」
と、ジェニーが言う。
「それにしては、ここにいるみんなは随分顔色がいいよ」
と僕が笑うと、ジェニーは、
「私たちももう、ヴァンパイアになってしまったの。
新しい犠牲者が必要だから、ロビンはあなたを連れてきた」
と続けた。
「あそこに泊まれるんなら、吸血鬼にでもなるよ」
と、僕は言った。
そんな訳で、僕もその家に寝泊まりする一人になった。
ハワイイに行って、1週間とか10日の滞在の間、僕はこのカイマナヒラの家に泊まって、庭先から海に出て、ワイキキ沖の波に乗った。
時にはロビンと一緒に、派手なフォルクスワーゲンの一台で、ノースショアまで行ったりもした。
いい日々だった。
【画像出典】