『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、『ジェットストリーム イン ハワイ』。
作家・池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』には、ハワイイに暮らすロコたちが、生き生きと描かれている。
今日は、ダイヤモンドヘッドの麓にある家で、ウィンドサーファーのミッキーが、ハワイイの波と風を語る一編。
「ウィンド・サーファー」
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ジェニーのボーイフレンドのミッキーとは、あまり話をした事がなかった。
彼はいつもマウイにいて、時折、カイマナヒラの家に帰ってくる。
彼は、8分の5まで中国系のハワイイ人で、残りは先住民と白人と日本人だという。
背が高く、品のいい顔立ちで、寡黙だ。
いつもニコニコしている。
食事の席でも、みんなの話を聞きながら、静かに頷いている。
親しくなってから3年経った今も、ジェニーはミッキーに夢中で、近くにいる時は、いつもうっとりと、彼の顔に見惚れている。
普段はミッキーは、その視線に気付かないが、たまに気付くと、にっこりと笑う。
ジェニーはそれだけで、ボーッとなる。
脇で見ていても、羨ましいような仲だった。
僕は、風も波も無い日に一度だけ、ミッキーとカイマナヒラの家の前のビーチで、ウィンドサーフィンの事を話した事があった。
僕自身は、ウィンドをやった事がない。
だから、彼にウィンドの事を聞いてみた。
[ウィンドサーフィン]
彼は、ポツリポツリと話してくれた。
僕は頷くだけで、ずっと黙って聞いていた。
「ウィンドは面白いよ。
10年やっていても、まだ毎日新しい事が起こる。
沖に出る度に、新しい波と、新しい風に出会う。
毎日、
『ああ、なんて凄かったんだろう』
って思いながら、海から上がるんだ。
朝、目が覚めて、今日もボードに乗って風を受けて、飛べるって思うと、それだけで嬉しくなる。
風が無い日には、サーフィンをやってる。
サーフィンは、ウィンドの基礎だから。
でも今日みたいに風も波も無いと、もう何をしていいか、分からなくてね。
それくらい凄い事なんだよ、ウィンドって。
なんか、上手く言葉にならないな。
ウィンドサーフィンは、やっぱりサーフィンなんだ。
風の力を利用して、大きな波に乗る。
パドリングじゃとても乗れないような大きな波にも、セールを使えば乗れる。
セールがあると、風の力が、自分の力みたいに思えるんだ」
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「ウェーブライディングしていると、波という怪物の鼻面を、腕力で押しひしぐような気分になる。
だけど、それは本当は自分の力ではなくて、風の力なんだ。
ただそれが、セールから腕に伝わって、それからボードに行くから、自分の力みたいな気がするのさ。
普通のサーフィンでは、テイクオフできないほどの大きな速い波でも、風の力で乗れるのが、ウィンドだよ。
こういう事って、言葉にならない。
水の上にいると、何も考えないんだ。
こういう動きがしたいって思って、風の向き、強弱、ボードやセールの角度、それに波の動きを感じ取った時には、もう体が反応している。
イメージは決まってるんだ。
着実に、やるだけなんだ。
そうなるまでに、100回も、1000回もトライする。
1000回やっても、相手は波と風だから、1000回全部違う。
ウィンドサーフィンは、誰も見ていない。
コンテストは別として、普通は、誰も見ていないんだ。
自分でやって、自分で満足するだけ。
夕方浜に戻って、ジェニーに
『今日の波は凄かったよ』
って言って、彼女が
『良かったね』
って言ってくれても、その日僕が、本当はどんな事をしたのか、彼女には分からない。
記録は数字にならないし、勝ち負けも無い。
ただ、僕の中の満足感だけだ。
それが強烈だから、僕は時々、ウィンドをやってる夢を見る。
信じられないほどいい風の中で、信じられないほどいい波に乗ってる自分、とかね。
10年ウィンドをやってきて、まだまだ飽きないで、あと何十年できるだろう、って考えている。
これで、僕は自分の事を、全部君に話した事になるよ。
これ以外の事は、僕の中には何も無い。
なぜって?
僕は、ウィンドサーファーだから」
【画像出典】