『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、『ジェットストリーム イン ハワイ』。
作家・池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』より、一部編集してお送りしています。
このカイマナヒラの家は、建築家チャールズ・ディッキーが設計し、実際にあった家が、舞台になっているという。
今夜は、第2夜。
ある日主人公は、ワイキキ沖の波間で、偶然知り合ったサーファーのロビンが暮らす家に招かれた。
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「カイマナヒラの家」
ロビンは、一度ホテルに戻った僕を、迎えに来てくれた。
その車というのが、派手なターコイズブルーの、フォルクスワーゲンのマイクロバスだった。
生産中止から、何年も経っているはずなのに、ピカピカに磨いてあった。
[マイクロバス]
ほんの10分ほどで、彼の家に着いた。
「ここだよ」
家の前の芝生が、テニスコートくらいあって、そこに車が4台並んでいる。
その内の2台は、僕たちが乗ってきたのと同じ、フォルクスワーゲンのマイクロバスだった。
同じ色で、前から見れば同じ形。
ただし後ろの方は、それぞれバン仕様と、屋根無し荷台のピックアップ仕様だった。
ピックアップがあるなんて、知らなかった。
残る2台は、同じくフォルクスワーゲンのバナゴンと、GMCのすごく大きなバン。
辺りは静かで、騒々しいワイキキのすぐ先に、こんな家があるというのが信じられないくらいだ。
この家の事は、詳しく説明しなければならない。
なんといっても、この話はほとんどこの家の事。
家が一番の主役、というような話なのだから。
何度も泊まって、隅々まで知っていると思ったのに、今になって頭の中で図面を描こうとしてみると、部屋から部屋への繋がりが、曖昧になる。
様式としては、開放的なガラスの多い、ハワイイ風アール・ヌーヴォー、とでも言う感じ。
戦前の建物だという事は分かったが、どのくらい古いかは、僕には検討がつかなかった。
平屋だから、玄関の前に立った時には、それほど大きな家だという事は分からない。
玄関にしても、奥行きを想像させるほど、大袈裟なものではなかった。
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「すごい家だね」
僕は、玄関のすぐ内側にある広いホールを抜けて、一層広大な部屋に入ったところで、言った。
「確かに、どっちかっていうと、すごい家だ」
と、ロビンは答えた。
「これが、君の家、なの?」
と僕が聞くと、
「ある意味では、とても限定された意味で」
と、家の奥から声がした。
低くて少しかすれた、石の床の広い部屋によく響く、女性の声だった。
ロビンは、奥から出てきた女性に、僕の名と、ワイキキの沖で会った経緯を話した。
「それから、こちらはジェニー」
と、僕に紹介した。
「君の・・・」
と、僕が言いかけたところで、
「友達」
と、ジェニーは、僕の問いの先を読んで言った。
近くまで来て見ると、日本人か日系人の顔立ちだった。
話す英語は、全くアメリカ人の英語。
「昔からの友達で、今はこの家を一緒に借りている仲。
そして、二人ともここの借家人で、管理人」
そう言って彼女は、ニッと笑った。
なるほど、と言うしかない。
それでも、この家が借り物だという事は分かった。
ロビンは、大金持ちのプリンスでは、なかった。
「だいたい、どういう家なの、ここは?」
と僕が尋ねると、
「A&Bの、Aの方の家だったんだな、昔は」
この家にロビンたちと一緒に住む、サムが答えた。
「A&Bって?」
「アレグザンダー家と、ボールドウィン家。
ハワイイの名門。
どっちも、初代は宣教師だよ。
ハワイイ人にキリスト教を広めに来て、説教をする一方でどんどん土地を手に入れた。
右手と左手が、違う事をした訳さ。
それから、移民を沢山呼び寄せて、サトウキビを作らせて、大いに儲けた。
宣教師はもう辞めちゃった。
それで、何代目かのアレグザンダーが、立派な家を造ろうと考えた。
確か、1930年頃の話だよ。
チャールズ・ディッキーっていう、その頃ハワイイで一番の建築家に頼んで、この家を建てた。
見せてやるよ」
そう言ってサムは、ビールの缶を手に、立ち上がった。
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