2022/12/13 カイマナヒラの家② | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM


作家が描く世界への旅。


今週は、『ジェットストリーム イン ハワイ』。


作家・池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』より、一部編集してお送りしています。


このカイマナヒラの家は、建築家チャールズ・ディッキーが設計し、実際にあった家が、舞台になっているという。


今夜は、第2夜。


ある日主人公は、ワイキキ沖の波間で、偶然知り合ったサーファーのロビンが暮らす家に招かれた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「カイマナヒラの家」


ロビンは、一度ホテルに戻った僕を、迎えに来てくれた。


その車というのが、派手なターコイズブルーの、フォルクスワーゲンのマイクロバスだった。


生産中止から、何年も経っているはずなのに、ピカピカに磨いてあった。


[マイクロバス]


ほんの10分ほどで、彼の家に着いた。


「ここだよ」


家の前の芝生が、テニスコートくらいあって、そこに車が4台並んでいる。


その内の2台は、僕たちが乗ってきたのと同じ、フォルクスワーゲンのマイクロバスだった。


同じ色で、前から見れば同じ形。


ただし後ろの方は、それぞれバン仕様と、屋根無し荷台のピックアップ仕様だった。


ピックアップがあるなんて、知らなかった。


残る2台は、同じくフォルクスワーゲンのバナゴンと、GMCのすごく大きなバン。


辺りは静かで、騒々しいワイキキのすぐ先に、こんな家があるというのが信じられないくらいだ。


この家の事は、詳しく説明しなければならない。


なんといっても、この話はほとんどこの家の事。


家が一番の主役、というような話なのだから。


何度も泊まって、隅々まで知っていると思ったのに、今になって頭の中で図面を描こうとしてみると、部屋から部屋への繋がりが、曖昧になる。


様式としては、開放的なガラスの多い、ハワイイ風アール・ヌーヴォー、とでも言う感じ。


戦前の建物だという事は分かったが、どのくらい古いかは、僕には検討がつかなかった。


平屋だから、玄関の前に立った時には、それほど大きな家だという事は分からない。


玄関にしても、奥行きを想像させるほど、大袈裟なものではなかった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「すごい家だね」


僕は、玄関のすぐ内側にある広いホールを抜けて、一層広大な部屋に入ったところで、言った。


「確かに、どっちかっていうと、すごい家だ」


と、ロビンは答えた。


「これが、君の家、なの?」


と僕が聞くと、


「ある意味では、とても限定された意味で」


と、家の奥から声がした。


低くて少しかすれた、石の床の広い部屋によく響く、女性の声だった。


ロビンは、奥から出てきた女性に、僕の名と、ワイキキの沖で会った経緯を話した。


「それから、こちらはジェニー」


と、僕に紹介した。


「君の・・・」


と、僕が言いかけたところで、


「友達」


と、ジェニーは、僕の問いの先を読んで言った。


近くまで来て見ると、日本人か日系人の顔立ちだった。


話す英語は、全くアメリカ人の英語。


「昔からの友達で、今はこの家を一緒に借りている仲。


そして、二人ともここの借家人で、管理人」


そう言って彼女は、ニッと笑った。


なるほど、と言うしかない。


それでも、この家が借り物だという事は分かった。


ロビンは、大金持ちのプリンスでは、なかった。


「だいたい、どういう家なの、ここは?」


と僕が尋ねると、


「A&Bの、Aの方の家だったんだな、昔は」


この家にロビンたちと一緒に住む、サムが答えた。


「A&Bって?」


「アレグザンダー家と、ボールドウィン家。


ハワイイの名門。


どっちも、初代は宣教師だよ。


ハワイイ人にキリスト教を広めに来て、説教をする一方でどんどん土地を手に入れた。


右手と左手が、違う事をした訳さ。


それから、移民を沢山呼び寄せて、サトウキビを作らせて、大いに儲けた。


宣教師はもう辞めちゃった。


それで、何代目かのアレグザンダーが、立派な家を造ろうと考えた。


確か、1930年頃の話だよ。


チャールズ・ディッキーっていう、その頃ハワイイで一番の建築家に頼んで、この家を建てた。


見せてやるよ」


そう言ってサムは、ビールの缶を手に、立ち上がった。


【画像出典】