『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、『ジェットストリーム イン ハワイ』。
作家・池澤夏樹の小説『カイマナヒラの家』より、一部編集してお送りします。
太平洋の真ん中に浮かぶ楽園、ハワイ。
その自然と人々の暮らしに惹かれた、作家・池澤夏樹は島々を巡って、名著『ハワイイ紀行』を書いた。
そして池澤は、小説でもその魅力を描いている。
今日は、その第1夜。
物語はワイキキ沖の波の上で、ロコの青年ロビンと出会うところから、始まる。
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「全ての始まり」
今になって振り返って見れば、僕が本気でハワイイに通っていた時期は、そう長くはなかった。
それでもあの頃の、熱に浮かされたような、いつも波の上に浮いているような気分は、その後もずっと僕の中に残った。
ロングボードで沖に出て、うねりに身を任せて、ゆっくりと上下しながら、沖の方を見て、大きな波が来たら、乗ろうと待っている。
あの3年ほどの間、僕は人生全体に対して、そういう姿勢でいたみたいだった。
思春期は、波打ち際から海へ出る時期だった。
砕ける波の下を苦労してくぐって、20代半ばには、沖の安定した水域まで出ていく事ができた。
後は、待つだけ。
海の神様が、遠い沖合から送ってくれる、大きな素晴らしい波を待つ。
待っている事も忘れるくらい、のんびりと。
今振り返ってみれば、僕の人生に、そんなにいい波が来た訳ではなかったし、だから一層、あの頃の幸福が、懐かしいのだが。
あの時期、ハワイイに行くと、もう波の事しか、考えなかった。
日本に戻って、一応真面目に仕事をしている時だって、僕の心の一部は、ボードの上に腹這いになって、波を待っていた。
大きな波が来て、力の限りパトリングして、波に乗って、後ろから突き飛ばされるような加速感にワクワクしながら、前傾姿勢でボードの上に立つ。
それから、すっくと背を伸ばす。
腰を落とし、足を踏み締め、両手を広げる。
限りなく崩れていく波の上の、絶対に崩れない、一点としての自分。
足元で、潮はザワザワと大きく崩れ続けるけれど、ボードに立った僕は、ぐらつかない。
波に駆動されて、波の上を滑走する。
そのために、ハワイイに通った。
あの長い大きなスウェルに会うために、通った。
だから、あそこは僕にとってはハワイではなく、"ハワイイ"だった。
あの島々を呼ぶ本来の言葉のままに、"ハワイイ"だった。
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ハワイが、本当はハワイイだと教えてくれたのは、ロビンだった。
僕たちが出会ったのは、ワイキキの沖。
ビーチは沢山の人で賑わっているけれど、ボードで沖に出る者は少ない。
しかも、あそこはいい波が来る。
[ワイキキ]
その日、僕はずっと沖まで行って、のんびりと波を待っていた。
その辺りまで行くサーファーはほとんどいなくて、大抵の連中は、岸に近い所で小さな波に乗って、派手なパフォーマンスを繰り返し、ビーチの観光客の目を引こうとしている。
そこで、20メートルほど左に浮いていたのが、ロビンだった。
僕らは、少し近づいて、話し始めた。
サーファーは、よく波を待つ間に、お喋りをする。
波の事、天気の事から始まって、名前を教え合い、色々な事を話す。
ほとんど、雑談。
その時に僕が、見るからにロコの、つまり先住民の血の濃い顔をしたロビンに聞いたのだ。
なぜ、ハワイの綴りには、iが2つも入っているのかと。
波に浮いて、ゆっくりと上がったり下がったりしながら、前から気になっていた、でも本当はどうでもいいような疑問を、口にしたのだ。
ロビンは、
「だって、ここはハワイイだから」
彼は、イの音をはっきり2つ並べて、発音しながら言った。
その日一日、僕と彼は、ワイキキの沖でお喋りをして過ごした。
たわいもない話、波の事、ハワイイの事、日本の事。
ロビンは、見事な肌の色をしていた。
端正な顔だった。
ボードの上に立ったところを見ると、なかなか長身で、歳は僕と同じくらい。
笑うと目の辺りがくしゃくしゃになる。
髪は濃い栗色で、背中まである長髪。
夕方が、近づいた。
「どこに泊まってるんだ?」
とロビンが聞いた。
「うちにおいでよ。
無駄な金を使う事はない。
大きな家で、部屋はいくつでもある。
あの辺りだ」
そう言って、ロビンは、岸辺のずっと右の方を指差した。
ワイキキの一番外れ、ダイヤモンドヘッドの麓に、近い辺りだった。
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