『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家ピート・ハミルの短編集『ニューヨーク・スケッチブック』高見浩・訳より、一部編集してお送りしています。
今夜は、その第4夜。
ニューヨークを舞台に、人生の哀感をさりげなく描き続けた作家、ピート・ハミル。
彼は、タブロイド紙の編集長の傍ら、日常の一瞬をスケッチするように、多くの愛すべき小編小説を書いた。
今日と明日は、ピート・ハミル自身が主人公として登場する、小さな物語である。
この日の舞台は、毎晩のように多くの作家やジャーナリストが集まったという、伝説の店ライオンズ・ヘッド。
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ある晩、ライオンズ・ヘッドの奥のテーブルで、一緒に飲むはずの女友達を待っていると、太った男が近寄ってきた。
ゼィゼィと息を弾ませながら話す男で、足だけがやけに小さかった事を、覚えている。
「おめぇだなぁ、物書きってのは」
男は言った。
「ああ、確かに、僕は小説を書いているけど」
男は、
「1杯奢りてぇんだ」
私は答えた。
「酒はやらんのさ、僕は」
「なんだって?」
男は、ムッとした表情を浮かべた。
「酒も飲まないで、物書きなんて商売が務まんのか?」
「すまんね」
私は言った。
「酒に関する限り、僕はチャンピオンのまま、引退したのさ」
男はテーブルに身を乗り出して、顔をグッと近寄せた。
「おめぇは、最低の物書きだと思うぜ」
私は言った。
「ベストを、尽くしてはいるんだけどね」
「カウンターの客が、おめぇを教えてくれたんだ」
男は言った。
「おめぇがここを根城にしてるって聞いたんだが、それで網を張ってたのさ」
私は、デイリー・ニューズの早番の紙面を繰りながら、店内を見回し、雑多な客の頭越しに、街路の方へ目を走らせた。
小雨が降っていた。
シェリダン・スクエアの裸の木々の下を、数人の酔っ払いがうろついていた。
「今週のヴィレッジ・ボイスで、おめぇの事を読んだぜ」
男は言った。
「コテンパンにやっつけられてたなぁ」
「それがどうした?」
そう答えながら、私は自分の本の書評を思い出していた。
「それが評論家の仕事なんだから、仕方ないさ。
作家をコテンパンにやっつけるのがね」
「メッタメタにやられてたじゃねぇか」
男は、薄笑いを浮かべた。
私は言った。
「あの評論家はまだ若いんだ。
きっと、自分でも創作に手を染めるようになれば、考えを改めるだろうよ」
「でも、俺は溜飲が下がったぜ」
太った男は言った。
「おめぇは、俺の女を盗んだんだからな」
「なんだって?」
私は、街路から、彼の手に視線を戻した。
「おめぇの事は、彼女からみんな聞いてんだ」
男は、女の名前を告げた。
まるで心当たりがない。
その通り男に伝えたのだが、彼はゼィゼィ息をしながら、喋り続けた。
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「その女性の名前は?」
と、私は聞いた。
「俺たちは幸せだった。
4年間、一緒に暮らしてたんだ。
するとある日、彼女はこの小汚い店で、おめぇと出会った。
何もかも白状したんだぞ、あいつは。
おめぇはまず、俺の女を、高級ディスコのストゥーディオ54に連れていって、」
[ストゥーディオ54]
「ちょっと待った。
僕は生まれてこの方、ストゥーディオ54には、1回しか行った事がないんだぞ。
それも、男性に連れてってもらったんだ。
同僚の新聞記者に」
「嘘だ!」
彼は言った。
「こっちは、何もかもお見通しなんだからな、おめぇの事は!
そうとも、おめぇは俺の女を、ストゥーディオ54に連れていき、それから21に連れていき、それからメトロポリタン博物館なんぞに連れてったんだ!
[メトロポリタン博物館]
俺の女を、あそこに連れてって、あの小汚い古代エジプトのガラクタなんぞを見せたくせに!
それから、いいとこ見せようと、本の事など散々吹き込んだだろ!
だから、あいつは出てっちまったんだ!」
私は言った。
「まあまあ、そう興奮しないで、座れよ。
落ち着いて、話し合おうじゃないか。
その女友達の写真は、持ってるかい?」
男はゼィゼィと息を弾ませ、憤懣やる方ないといった調子で、両手を振り回していたが、私の正面に腰を下ろして、財布を取り出した。
しばらく、あちこちまさぐってから、1枚の写真を引っ張り出した。
悲しげな、潤んだ目をした、30代の黒髪の女が写っていた。
口の両端に、深い皺が刻まれかけている。
「素敵な女性じゃないか」
私は言った。
「でも、誓って言うが、僕は一度も会った事はない」
「デタラメ言うな!
あいつが嘘などつくもんか!」
「いや、嘘をついたんじゃないかな」
私は言った。
「今どこにいるんだい、彼女?」
「知るもんか。
おめぇのところに転がり込んでんだろ、どうせ!」
「彼女に、電話してみようじゃないか」
途端に、男の口調は弱々しくなった。
「いや、そいつは、お断りだ」
「構わんじゃないか。
最初に僕が出て、それから君に回すよ」
「だから、嫌だと言ってんだよ。
そんな事したら、俺がまだあいつに気があると思われるぜ。
俺はあいつに、勝手にしろと言ってやったんだ。
あんな三文文士のどこがいい。
あんな野郎など、十把一絡げで、大安売りされてらぁ、ってな!」
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