2022/8/11 ニューヨーク・スケッチブック④ | 福山機長の夜間飛行記録

福山機長の夜間飛行記録

月曜日から金曜日までの毎晩放送されるラジオ番組"JET STREAM"のうち、福山雅治機長のフライト部分を文字に書き起こして写真を貼り付けただけの自己満足ブログです。(※特定の個人・団体とは一切関係ございません。)

JET STREAM


作家が描く世界への旅。


今週は、作家ピート・ハミルの短編集『ニューヨーク・スケッチブック』高見浩・訳より、一部編集してお送りしています。


今夜は、その第4夜。


ニューヨークを舞台に、人生の哀感をさりげなく描き続けた作家、ピート・ハミル。


彼は、タブロイド紙の編集長の傍ら、日常の一瞬をスケッチするように、多くの愛すべき小編小説を書いた。


今日と明日は、ピート・ハミル自身が主人公として登場する、小さな物語である。


この日の舞台は、毎晩のように多くの作家やジャーナリストが集まったという、伝説の店ライオンズ・ヘッド。


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ある晩、ライオンズ・ヘッドの奥のテーブルで、一緒に飲むはずの女友達を待っていると、太った男が近寄ってきた。


ゼィゼィと息を弾ませながら話す男で、足だけがやけに小さかった事を、覚えている。


「おめぇだなぁ、物書きってのは」


男は言った。


「ああ、確かに、僕は小説を書いているけど」


男は、


「1杯奢りてぇんだ」


私は答えた。


「酒はやらんのさ、僕は」


「なんだって?」


男は、ムッとした表情を浮かべた。


「酒も飲まないで、物書きなんて商売が務まんのか?」


「すまんね」


私は言った。


「酒に関する限り、僕はチャンピオンのまま、引退したのさ」


男はテーブルに身を乗り出して、顔をグッと近寄せた。


「おめぇは、最低の物書きだと思うぜ」


私は言った。


「ベストを、尽くしてはいるんだけどね」


「カウンターの客が、おめぇを教えてくれたんだ」


男は言った。


「おめぇがここを根城にしてるって聞いたんだが、それで網を張ってたのさ」


私は、デイリー・ニューズの早番の紙面を繰りながら、店内を見回し、雑多な客の頭越しに、街路の方へ目を走らせた。


小雨が降っていた。


シェリダン・スクエアの裸の木々の下を、数人の酔っ払いがうろついていた。


「今週のヴィレッジ・ボイスで、おめぇの事を読んだぜ」


男は言った。


「コテンパンにやっつけられてたなぁ」


「それがどうした?」


そう答えながら、私は自分の本の書評を思い出していた。


「それが評論家の仕事なんだから、仕方ないさ。


作家をコテンパンにやっつけるのがね」


「メッタメタにやられてたじゃねぇか」


男は、薄笑いを浮かべた。


私は言った。


「あの評論家はまだ若いんだ。


きっと、自分でも創作に手を染めるようになれば、考えを改めるだろうよ」


「でも、俺は溜飲が下がったぜ」


太った男は言った。


「おめぇは、俺の女を盗んだんだからな」


「なんだって?」


私は、街路から、彼の手に視線を戻した。


「おめぇの事は、彼女からみんな聞いてんだ」


男は、女の名前を告げた。


まるで心当たりがない。


その通り男に伝えたのだが、彼はゼィゼィ息をしながら、喋り続けた。


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「その女性の名前は?」


と、私は聞いた。


「俺たちは幸せだった。


4年間、一緒に暮らしてたんだ。


するとある日、彼女はこの小汚い店で、おめぇと出会った。


何もかも白状したんだぞ、あいつは。


おめぇはまず、俺の女を、高級ディスコのストゥーディオ54に連れていって、」


[ストゥーディオ54]


「ちょっと待った。


僕は生まれてこの方、ストゥーディオ54には、1回しか行った事がないんだぞ。


それも、男性に連れてってもらったんだ。


同僚の新聞記者に」


「嘘だ!」


彼は言った。


「こっちは、何もかもお見通しなんだからな、おめぇの事は!


そうとも、おめぇは俺の女を、ストゥーディオ54に連れていき、それから21に連れていき、それからメトロポリタン博物館なんぞに連れてったんだ!


[メトロポリタン博物館]


俺の女を、あそこに連れてって、あの小汚い古代エジプトのガラクタなんぞを見せたくせに!


それから、いいとこ見せようと、本の事など散々吹き込んだだろ!


だから、あいつは出てっちまったんだ!」


私は言った。


「まあまあ、そう興奮しないで、座れよ。


落ち着いて、話し合おうじゃないか。


その女友達の写真は、持ってるかい?」


男はゼィゼィと息を弾ませ、憤懣やる方ないといった調子で、両手を振り回していたが、私の正面に腰を下ろして、財布を取り出した。


しばらく、あちこちまさぐってから、1枚の写真を引っ張り出した。


悲しげな、潤んだ目をした、30代の黒髪の女が写っていた。


口の両端に、深い皺が刻まれかけている。


「素敵な女性じゃないか」


私は言った。


「でも、誓って言うが、僕は一度も会った事はない」


「デタラメ言うな!


あいつが嘘などつくもんか!」


「いや、嘘をついたんじゃないかな」


私は言った。


「今どこにいるんだい、彼女?」


「知るもんか。


おめぇのところに転がり込んでんだろ、どうせ!」


「彼女に、電話してみようじゃないか」


途端に、男の口調は弱々しくなった。


「いや、そいつは、お断りだ」


「構わんじゃないか。


最初に僕が出て、それから君に回すよ」


「だから、嫌だと言ってんだよ。


そんな事したら、俺がまだあいつに気があると思われるぜ。


俺はあいつに、勝手にしろと言ってやったんだ。


あんな三文文士のどこがいい。


あんな野郎など、十把一絡げで、大安売りされてらぁ、ってな!」


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