『JET STREAM』
作家が描く世界への旅。
今週は、作家ピート・ハミルの短編集『ニューヨーク・スケッチブック』高見浩・訳より、一部編集してお送りしています。
今夜はその最終夜。
ニューヨーカーが集まるバー、ライオンズ・ヘッドには、今夜もビリー・ホリデーの歌が流れている。
だが、主人公の作家は、見知らぬ男と奇妙な話を続けている。
待ち合わせた女友達は、来るだろうか?
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「その女性とは、どこで知り合ったんだい?」
私がそう聞くと、
「ローズランド、って店だがね」
と、ささやくような声で、彼は言った。
「じゃあ、その店に電話をかけてみようじゃないか」
私は言った。
「僕の女友達が着いたら、そこに一緒に行って、話し合えばいい」
「あいつは俺と一緒でなきゃ、あんな所に行くような女じゃねぇんだったら!」
彼は声を張り上げた。
私は腕時計に目を走らせた。
今日のデートの相手は、もう1時間も遅れている。
「しかし、彼女が一人でそこに出掛けた事が、少なくとも1回はあるはずだ。
つまり、君が彼女と知り合った晩さ」
「あの晩あいつは、妹と一緒だったんだ。
あいつは、真面目な女だからな。
しょっちゅう外出して、男とほっつき歩くような女じゃねぇんだ!」
「じゃあなぜ君は、彼女が僕と付き合っているなんて思い付いたんだ?」
「あいつが自分でそう言ったからさ。
例の喧嘩をした晩にな」
「喧嘩を?
じゃあ、彼女を殴ったのかね?」
私がそう聞くと、男は言った。
「俺は、女を殴るような男に見えるかい?」
「喧嘩の原因は?」
そう聞くと、彼の口調は、また弱々しくなった。
「あいつは、結婚してくれと、せがんだんだ」
「じゃあ結婚してやればよかったじゃないか」
と、私は言った。
「結婚してなぜ、いけないんだ?
素晴らしいぞ、結婚は。
実に素晴らしい。
あのカウンターにいる男たちの誰でもいいから、聞いてごらん。
連中も、みんな一度は結婚しているんだから」
すると、
「俺には、女房がいるんだ!」
と、彼は叫んだ。
ジュークボックスからは、"レディー・デイ"ビリー・ホリデーの歌う、『イン・マイ・ソリチュード(私の孤独)』が、流れていた。
[ビリー・ホリデー]
今、一人きりで彼女の歌を聴いているのならいいのだがと、私は思った。
そしてつぶやいた。
「んー、ちょっと、こんがらがってきたな」
男は言った。
「しかも、女房の奴は、まだ愛してるんだ」
「おい、まさかその相手も、僕だと言うんじゃないだろうね?」
「お気の毒様。
俺なんだよ、女房が愛してるのは!」
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私はウェイトレスに手を振って、
「ブラックコーヒーをもう一杯」
と、彼が飲んでいるものをもう一杯注文した。
それから、新聞を畳んで、尻に敷いた。
「よし、じゃあ、こうしたらどうだい?」
彼の理性に訴えるように、ゆっくりと、私は言った。
「今の奥さんと離婚して、ローズランドで知り合ったその女性と、結婚するんだ」
「そんな事したら、子供たちに悪影響があるだろうが!」
と彼は言った。
「いくつだい、お子さんたちは?」
「27と、29」
「君は、その子たちが老衰で死ぬかどうかするまで、待とうってのかい?」
「面白くも何ともねぇぜ、そんな冗談は」
「まあ、もう一杯飲めよ」
「ふん、今度は俺が奢るぜ」
しばらく沈黙してから、彼は言った。
「俺は、そんなに頭がおかしい訳じゃあないぜ」
「ああ」
私は言った。
「君はただ、中ぐらいに頭がおかしいだけだ」
「そんな風に見えるかい?
俺の顔に、そう書いてあるってのかい?
世間の連中が俺を見て、
『おい、こいつは気がふれてるぞ!
きっと、女が原因だろ!』
とでも言うってのかい?」
「いや、それほどはっきりは見抜けんさ」
ウェイトレスが、コーヒーと酒を運んできた。
私は、腕時計に目を走らせた。
男が聞いた。
「おめぇは、いつも一人でここに入り浸ってんのか?」
「いや、時にはうちで物を書いてる事もある」
「おめぇのデートの相手はどうしたんだ?」
「さぁな」
と、私。
男は、グラスを半分ほど干してから、こっちを見やった。
「実を言うと、俺はおめぇの本は、一冊も読んでないんだ」
「ん、どれか、読んでみたらどうだい?
きっと楽しめるから」
「おめぇは絶対に、俺の女を盗んじゃいないな?」
「そう来なくっちゃ。
だんだん正気に戻ってきたようだぞ」
ウェイトレスに勘定を頼むと、太った男がサッと伝票を掴んでしまった。
「俺が喧嘩をふっかけたんだ。
俺が払うよ」
「ありがとう」
私は立ち上がった。
「おめぇは結局、すっぽかされたって訳か」
「そうらしいね」
「でも、こんな夜遅くに、どこに行こうってんだい?」
「どこかでまた、運試しでもしてみるさ」
私は答えた。
ひょっとすると、見知らぬ女と、恋に陥るかもしれない。
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