その後の娘 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

最近の娘の様子です。

 

朝はまだ付き添って一緒に登校しています。しかし教室まで一緒に行くことは無くなりました。最初は窓の外で見ていて、というところから、次第にちょうど同じ時間に登校してきたお友達と一緒に行ったり、一人で行ったり、登校班に遅れて行く時は、お友達が玄関まで迎えにきてくれていたり、で、だんだん慣れていっているように思います。

 

お昼休みや長休みも、いつも誰かと遊ぶことができているようです。

 

帰りは途中まで迎えに行くことにしていますが、大抵泣いています。理由は、同じ方角の2年生、男の子3人、女の子2人(娘込み)で一緒に帰るのですが、私が迎えにいく地点までの間に、大抵、置いていかれるそうです。待って、と言っても待ってくれないとのこと。

 

男の子たちは、いつも男だけで何かを話しながら帰っていて、本当に聞こえてないのだと思います。他の子がどうかということを思いやることに慣れてないように見えます。

 

そして学校は楽しくない、アメリカに帰りたい、私はあんなに簡単に決断して馬鹿だった、アメリカにいた頃に戻れたらいいのに、と言います。

 

私も同じ気持ちです。。。

渡米当初のようなワクワク感は全くなく、何か閉塞感と、怒りみたいなものがあって、胃のなかに石があるように感じます。ずっと気が晴れない感じ。ちょっと気分を変えようと、まあまあ近くに住んでいる渡米当初に一緒にESLに通ったお友達に連絡を取って会いませんか?と言ってみました。彼女も、最初違和感と怒りを感じ、自分の心地よい居場所を探しても見つからない、という感情があったと言っていました。日本人なんだから、年単位で慣れていくよ、とのこと。年単位か。。。先は長い。。。長くアメリカに住んで帰ってきた人に聞いてみると、みなさん、2年、3年、慣れるのにかかると言われます。今は仕方ないのかな。。。

 

ちなみに夫は、毎週釣りに行っていて、生き生きしています。「日本に帰ってきてよかった〜!アメリカに一切未練ない!」そうです。

 

今日は、娘の英語のクラスに行ってきました。娘が授業を受けている間、偶然Googleマップで見つけたベトナム食材店へ行ってみました。

 

小さなお店で、男の子が一人で店番していました。


Bún Bò Huếのスープがあったので、麺も教えてもらい、フォーとフォーガー(チキンスープ)のインスタント麺を買いました。

あと初めてみたベトナム風お好み焼きの粉も。これは渡米前から好きで、アメリカでも食べていました。でも粉を見たのは初めて。

 

支払いの時に、色々質問してみました。

この辺にベトナム人はたくさん住んでいるのか?→この市内で300人ほど。

美味しいベトナム料理屋は近くにあるか?→県内にはない。今日とか愛知まで行くとある、とのこと。

 

美味しかったらまた買いに行こうと思いますー。あー美味しいフォーが食べたい〜!