初登校 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

今日から学校が始まりました。事前準備が結構大変で、LAではこんな準備無かったのになーと思いながら準備しました。LAUSD、楽だったわ〜。

 

今日は私も一緒に学校に行く必要があるので、登校班とは別に登校。登校ルートは、危険のない場所をなるべく通るようになっていて、少し遠回りなので、直線距離の方が少し近いので、二人で登校することに。それでも暑さと荷物の重さで娘はバテバテでした。

 

学校に着いたら会議室にくるように言われていたので、その通りに行くと、もう一人、転校生がいて、お母さんとお話ししたら1年生で関東からの転校だとのこと。話したら「久々に関西弁じゃない言葉聞きました〜」って言われましたw


娘の教室まで一緒に行かせてもらって、どんな様子か見せてもらいました。娘が自己紹介したけど、マスクもしてるし、窓も開けっ放しなので、周りの教室のざわめきも聞こえてきて、娘の声が小さすぎて聞こえず、結局、先生が名前を黒板に書いてくれました。

 

この学校はランドセルでもリュックでもOKなのが、実はなかなか珍しくて、自分も赴任してきた時にびっくりしました、と先生がおっしゃっていて、自由な学校でラッキーでした。LAで出会ったママ友で、私世代の人だけど、大好きなリュックでずっと通い続けて、学校とずーっとバトルし続けた人がいて、その話を聞いていたので、私もびっくりでした。そんな状態なので、クラスでランドセルじゃないのは娘だけ。でも今はランドセルもいろんな色が出ているせいか、あまり違和感ありませんでした。ただ、雨の日が困るなーと思って、前に体験入学用に友達の娘さんのお古を譲ってもらっていたのを、雨の日用として使おうと思っています。

 

今日は始業式なので3時間でお迎えの時間。しばらくは登下校付きそうつもりなので、またすぐ学校に逆戻り。

 

娘はなぜか持っていった道具箱を持って出てきたので、先生が机に戻しておいてくれるとのことで、お願いしました。持っていった雑巾も出てきて、「えっ、なんでこれ出さんかったん?」と娘に言ったら、先生が「雑巾持ってきた?って聞いたら、緑のハンカチだしはってん」と言われて爆笑。LAでは雑巾もハンカチも使うことはなかったので、もしかして分からなかったのかも。。。私も娘がどこまで理解しているのか分からないので、時々、言い含めてないこともあって。

 

帰り道は、同じ方向の2年生で一緒に帰るとのことでその子たちと一緒に帰りました。2年生でも歩く速度が速くて、私も娘も遅れがち。娘はとにかくお腹がすいたのと、暑いのと、歩くのが疲れるのと、で泣きながら帰りました。アメリカでは学校から車まで長くても数分だし、車の中ですぐに食べれるものを用意していたので、お腹がすごく空いたまま、20分歩いて帰るのは中々厳しい。娘は少食なので朝ごはんもあまり食べず、LAのように、学校で朝ごはんも用意してくれないし、休憩でスナックも食べれないし、そう考えると、少量を頻回食べる娘にとっては、LAUSDはとても合っていたのかも、と思います。

 

そして、緊急事態宣言の県になってしまったので、これからしばらく授業は午前中だけ、給食なし、午後はオンライン授業になるそうで、またかよーと私はうんざりです。

 

1日目の感想、アメリカの学校は、親が楽w