お迎え時間を間違えた。 | アメリカ→日本の転校

アメリカ→日本の転校

2013年LA生まれの娘
2018年8月〜地元のキンダー
2019年8月〜マグネット校の1年生
アメリカの学校の知らないこと、驚いたことを書き綴っていましたが、2021年7月、日本に本帰国しました。
これからはアメリカ→日本の転校について書いていきます。

2日目の今日は、朝から登校班と一緒に登校しました。誰もおはようも言わず、無言で、全員揃ったら出発することにびっくり。これはコロナだからなのか、それとも元々こうなのか。通学中も一切おしゃべりもせずに静かに学校へ。見守りの人に挨拶もしてないように見えました。マスクしてるから聞こえにくいだけで、もしかしたらしてるのかも。しかし、無言で学校に行くのはすごい、と思いました。

 

娘は一番後ろについて、私に話しかけながら歩いて行きました。娘は階段の下りが苦手なので、最後の階段で20メートルも差がつくほどの遅さ。これはしばらくかかりそう、と思いながら学校へ。学校に着いたら、皆、じゃあねーなんていいあうこともなく、それぞれの靴箱に分かれてそのまま教室へ。娘は上履きと下履きの違いとか、なんでそうするのかとかがよくわかっておらず、上履きを外履きの地面に置いたりするので、とても時間がかかり、それを細かく注意していましたが、その間にも続々と他の登校班が到着し、同じように静かに教室へと散っていくのをみて、それにもびっくりしました。

 

娘を見送って、私は家へ一度帰り、また手続きのために市役所と警察署と銀行に行きました。久々に自転車に乗りました。

 

買い物などをして、一度家に帰って、歩いて学校へ。学校へ着いたら、「もう帰りましたよ」と言われました。えーーーー!!!と思って、あれ、今日の終了時間は12:30じゃないんですか?ってきくと、今日は昨日と同じ、11時30分ですよ、って言われて、完全に勘違いしていたことに気づきました。その時点ですでに12時。11時30分に学校を出たなら、すでに家についている時間です。

 

通学路は危険の少ない道が選ばれていて遠回りなので、私はいつも一番近い道を通っていくのですが、そのせいで娘と会えなかったのです。

 

急いで帰ろうとするも変わらない信号。歩いても走ってもきついー!暑い!この暑さの中を走るのはアラフォーにはきつい。あのLAの電動スクーターがあれば〜!と思ったりしました。

 

急いで帰って、大声で娘の名前を呼ぶと、外で待っていた娘は泣きながら走ってきて可哀想なことをしてしまいました。実は私も娘と同じくらいの年に、同じ経験をしていて、家に帰って鍵がかかってたことなんてなかったので、大泣きしたのを覚えています。だから娘の不安な気持ちがとてもよくわかり、自分がしたことだけど可哀想でたまりませんでした。

 

同じアパートに2年生の子がいて、その子は最後まで一緒なので、一旦家に帰って私がいないことに気づいた娘は、その子のうちに行って「ママがいないから家に入れない」と言ったそうです。そしたら、そこのお姉ちゃんがお父さんに連絡を取ってくれ、お父さんがうちの夫に、夫から私に電話があったのは、ちょうど私と娘が会った時でした。

 

無事に会えて本当に良かった〜。娘が生まれてから、こんなことになったのは初めてのことだったので、私も娘も焦りました。合鍵を持たせるとか、何か対策を考えようと思います。