次の日は、朝、長女の病院に行った後、リトル東京にある日系の葬儀社に行きました。すでに病院から連絡していて、引き取りに来てもらう手筈が整っていたはずですが、親のサインが足りないとかで、追加でサインをしに行ったように思います。
打ち合わせをして、すぐに次女に会わせてもらいました。昨日会ったばかりなのに、もうもうずいぶん会っていないように感じました。むくみがひどくて、体全体が水分がいっぱいなので、なるべく早めに葬儀をしたほうが良いと言われ、私の行っているお寺と相談して7月2日が葬儀になりました。LAのお寺はオレンジカウンティにありますが、そこにはお葬式を執り行える人がいないので、サンフランシスコからお坊さんが来てくださいました。
その日は29日でお葬式まで3日あるので、私は娘のためにベビードレスを作ろうと思いました。ミシンは持っていなかったので、手縫いで作りました。ドレスの他に、帽子と靴も作りました。すごく可愛いドレスができて、これを着て娘は旅立てると思うと満足でした。
お葬式の時は、たくさんの友達、同僚が来てくれました。思いがけない人も。お花を送ってくれたり持ってきてくれたりして、お花畑のようになりました。私のお寺のお友達が、お葬式の色々を手伝ってくれてとても助かりました。
アメリカのお葬式は、葬儀の後にどこかレストランでお食事会をしたりしますが、とてもそんな気分にはなれなかったので、その場で皆さんとはお別れしました。でも、忙しい中、来てくれて本当に嬉しかったです。
書ききれなかったけど、肺から大出血して危篤状態だった時、お寺のReverendのNがお見舞いに来てくれました。彼女はアメリカ人の女性で、次女が入院中にずっと力付けてくれました。その時に、ナースのSをみて「彼女はとてもよくしてくれる。他のナースとは違う」と言ってくれました。Sは本当によくしてくれました。お葬式にも来てくれました。
アメリカ人の友達のBはC病院のナースでもあるので、勤務ついでに何度か顔を出してくれました。私のためにスープを作ってきてくれました。彼女自身も病気をして、ちょうど私と同時期に入院していたんです。彼女の病気は、喪失感が大きいもので、一度本音をぽろっと漏らしたことがあって、その時期もおそらく辛い時だったと思うけど、よくしてくれました。
その頃仲良くしていた日本人のお友達は、鬱状態になってしまったうちの母を病院に連れて行ってくれたり、予定を早めて早く帰る母を空港まで送ってくれたりしました。次女が大変で、とてもじゃないけど、空港まで送って行く余裕はなかったので。
別のお友達は、わざわざ私のお寺まで、双子たちのお守りを買いに行ってくれました。それは今でもとっていて、次女のは骨壷につけています。
お寺のお友達は孤独で参っている母を訪ねてお茶をしてくれました。何度もお世話になりました。
本当にたくさんの人たちのお世話になって、乗り越えてこれたと思います。
逆に、そっとしておいたほうがいい、という配慮で、次女が亡くなった報告をしたのに返事がなかった人もいて、それは私をとても傷つけました。私を思ってのこと、とはわかってますが、普通に親とか祖父母が亡くなったらお悔やみ言えるのに、どうして子供だと何もないの?と思ってしまって。
数年後に、たまたまクリスチャンの知り合いとばったり会ったことがありました。彼女はいきなり泣き出して「私の姪が亡くなったときにソフ子さんから丁寧なお悔やみのメールをもらったのに、お嬢さんが亡くなった時に何も言えなくてごめんなさい」と言われました。子供が死ぬってなかなかないので、あまりの事の大きさに何も言えなかったのだとは思いますが、当時の私はとにかく悲しかったです。たった41日しか生きることができなかった娘。これから長女を育てて行ったら、皆が一人っ子だと思うでしょう。次女が生きていたってことを認めて欲しかった。一言でいいから、何か言葉が欲しかったんです。母は、何も言われないほうが気が楽、というので、性格の違いなのかもしれません。
お葬式が終わってから、しばらくはぼーっとしていました。火葬するのは5日だということで、またReverendのNが火葬場に来てくれました。火葬する前に読経して、最後のお別れをしました。最後に抱っこしたかったけど、もうかなり傷んでいるとのことだったので、撫でるだけにしました。
焼く寸前になって、たまらなくなって、Nに「もし何かしてたら結果が違ったと思う?あの人たち、たくさんのミスをした。もしあのミスがなかったら死ななかったかもしれない。」と泣きながら言ってしまいました。Nは慰めてくれましたが、何を言われたのか、覚えていません。
焼いたら手のひらからちょっとはみ出すくらいの大きさの小さな骨壷に入るくらいの灰しか残りませんでした。いつか日本に持って帰るつもりでいたので、骨壷はプラスチックのものにしないといけないそうで、それにしてもらいました。今回、無事に一緒に日本に帰ってくることができました。